民数記34章

34章 イスラエルの領地
<要約>
皆さんおはようございます。約束の土地の境界と分配が明確に示されます。これから彼らが占領すべき目標がはっきりと示されるのです。これは、彼らにとって始まりでした。彼らは約束の土地を戦い取らなくてはならなかったのです。霊の目が開かれて、自分たちの霊的な目標が明確にされ、さらにその目標を達成できる霊的な力を求めて歩ませていただきたいものです。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.約束の地カナンの境界線(34:1-15)
神がイスラエルに約束されたカナンの地の境界線が定められる。
(1)南の境界線(1-5)
死海から始まってツィンの荒野を通り、カデシュバルネアが南限となる。そしてアツモンを通り、海(地中海)に至る。要するに、イスラエルの地図を思い浮かべ、死海の南端から、西側の地中海に向かって、外に向かって張り出した緩い弧を描く形だ。
(2)西の境界線(6)
大海とその沿岸。つまり地中海沿岸が境界となる。
(3)北の境界(7-9)
大海(地中海)からレボ・ハマテ、ツェダデ、ジフロン、ハツァル・エナンにまで横に伸びている。それはちょうど今のレバノンを含み、シリアを横切っている。
(4)東の境界線(10-15)
ハツァル・エナンからそのまま南下し、サルカからシリア砂漠を通って、地中海に向かいガリラヤ湖に達する。東側の境界線はイメージしにくいかもしれないが、シリアの南端の境界に一致するような形である。つまり現在のイスラエル、レバノン、シリアの一部を包含し、ヨルダンは除外する地域が、神がイスラエルに約束されたカナンの地に当たると考えてよいだろう。ただし、33章で見たようにルベンとガド、マナセの半部族は、ヨルダン川東側の土地を相続することを申し出た経緯があるから、神が与えられた土地には、ヨルダンも包含されると考えてよい。なお13節以降は、この地を相続する者の族長たちの名前が記される。
ところでこの境界は、イスラエルの歴史のどの時代の実際の境界線とも一致していない。つまり、イスラエルは、神に約束された土地を完全に占領したことがなかったということである。神は私たちに約束されるが、私たちは、その約束を十分受け止めていない。「神はいつでも、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方」であるが、私たちは、神もビジョンも小さく見てしまっている。
確かに、人生を振り返り、あの時もっとこうしていれば、ああしていればと思うことはあるものだろう。その時の器が小さかったというべきか、ある程度のことを経験しないと、本当に大事なもの、勇気をもって踏み出すべきものがわからないことがある。だからパウロが次のように祈るのは理由なきことではない。「あなた方の心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように」(エペソ1:17-19)私たちの目は開かれていない。神が与えられようとしているものの豊かさに関心を向けることができないでいる。だからクリスチャンになっても、得にはならないと思うこともあるだろう。私たちが、本当に神の祝福を受け継ぐには、目が開かれて、神が見るように、私たちも物事を見ることができることが大切だ。神が今日も私たちに豊かな識別の目と霊的な深い感性を与えてくださるように、私たちの受け継ぐべきものをはっきりと見させて、渇望させてくださるように、と願うところである。
2.土地の分配者の指定(34:16-29)
34章後半は、土地の分配である。すでにヨルダン川に土地を取得したルベンとガドを除き、全部で10部族の指導者たちの名があげられている。これらの名は、これまでのどのリストとも一致しない。ただ、カレブのみが、13章の斥候のリストに重複する。また、リストは、南のユダとシメオンから始まり、北のアシェルとナフタリで終わり、ほぼ、定住した順に記されている。「相続地を持たせるよう主が命じたのはこの人々である」(29節)と、主ご自身が分配者を直接任命された。この任命は、始まりに過ぎない。彼らはこれらを戦いによって勝ち取るのである。それぞれに信仰の戦いがある。主に霊的な目を開かせていただくと同時に、霊的な力を豊かに注いでいただくことを願うこととしよう。

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