10章 知恵ある者と愚かな者
おはようございます。知恵ある者と愚かな者、正しい者と悪い者、その対比から、自分自身の歩みを振り替えさせられるところでしょう。大切なのは、自分を知恵ある者、正しい者と位置付けていく努力を、主に助けていただくことでしょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.知恵ある者と愚かな者
10章から二行詩による格言集となる。ある程度、類似の主題でまとめられていて、この章では、知恵ある者、正しい者、そして愚かな者、悪い者の、二つの生き方とその報いが対比されている。つまり1から9章の議論を、さらに具体的に論じている、と言える。
まず知恵ある者は、父を喜ばせ(1節)、喜んで人から教えを受け入れ(8節)、言葉数が少ない。(14節)一方愚かな者は、産みの母を悲しませ(1節)、しったかぶりをしてよくしゃべり(8節)、自分ばかりか(10節)、人まで破滅に陥れる(14節)。また、あからさまに人を中傷し(18節)、悪事を行うことを楽しみとする。
つまり知恵ある者は、聞くに早く、語るに遅い。思慮深く、周囲の者を祝福する。一方愚か者は、聞くに遅く、語るに早く、物事や後先を深く考えず、混乱を引き起こし、周囲の者を巻き込んでいく。また、知恵ある者は、勤勉であり、富を得る。学ぶべき時、働くべき時を心得ている。しかし愚か者はそうではない。ここぞという時に、平気で怠けてしまう(5節)。歯に酢、目に煙りのようなもので、そのような人には関りあわないことである(26節)。
2.正しい者と悪い者
次に正しい者、悪い者の対比から何が学べるだろうか。神は正しく生きている者を飢え死にさせることはない(3節)。正しい者の歩みは神の目に留められている。神を信じない者であっても、知恵ある者でありうる。しかし、正しさは、神を基準とするのでなければありえない。だから正しい者の上には、神の祝福があり(6,16節)、最後には必ず勝者となる(7、28節)。正しい者の歩みは守られ(8節)、揺るがされない(25、30節)。望みは必ずかなえられる(24節)。それは、正しい者が、人を生かし養うことばを語り(11,21節)、侮辱されても相手を赦し(12節)、誤りを指摘されることを厭わず(17節)、よく考えてから忠告する(31節)。正しい者が祝福されるのは理にかなったことである。
一方悪い者は、神から突き放され(3節)、自分の悪の結果を思い知らされる(9節)。悪い者の名はいつしか忘れ去れる。その報いは、いのちではなく罪、滅びであり(16節)、悪い予感通りのことが起こり(24節)、期待は裏切られ(28節)、いのちの日も短くされる(27、30節)。大事なのは、それが必然的な結果だということだ。つまり、悪い者の心の中は、不平不満、呪いで満ちており(6,11節)、ねじれた心で何につけても反対する(32節)。物事を打ち壊し、建てあげようとしない。人を赦すことを知らずに、憎しみをつのらせ、争いを引き起こす(12節)。彼は忠告を聞こうとしない(17節)。
愚か者と悪い者は同じではない。知恵ある者と正しい者もイコールではない。知恵ある者であるのみならず、正しい者であること、神の祝福を受ける者であることが期待される。