箴言11章

11章 神の御前にあることを覚えて生きる

おはようございます。人生正直を指針として生きることに優るものはありません。なぜなら、この世は目に見える事柄だけで成り立っているわけではないからです。神は確かに生きておられ、神は、隠れた配慮をしてくださるお方です。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.どちらに向かう心か

この11章。種々の格言が収録されているようだが、特徴的な反意型パラレリズムという表現形式を通して、神の御前にあることを覚えて生きる者と、そうでない者との違いが対比されて語られている。

いつも、心が天に向かって生きているのか、それとも地に向かって生きているのか。どっちだろうか。神を仰ぎ、神の御前にあることを覚えて生きる者は、いつも正直であり(1節)、自分の実力を弁えた謙虚さを持っている(2節)。彼は神に誠実さを自分の生き方の指針とする(3節)。富は決して悪ではないが、不正の絡んだ富を当てにしない、汗水たらした労働による富だけに価値を置く(4節)。地震、疫病、戦争などの災害によってそれらはどうなるかわからないからである。だから正しい人は、やがて神にお会いする日を覚えて、神のさばきに備えられた歩み、正義に基づいて金を使い行動する(5節)。一方、神など深く考えず、この世の目に見える世界だけで生きている人は、それだけで人生が終わってしまう。死んでしまえばそれまでという人生なのである(7節)。こういうことは、学校の教科書では教えてくれない。聖書を読むことは、まさに人生に見通しを得て賢く生きさせる。

2.建て上げるように生きる

次に、神を覚えて歩む正しい人は、ぶちこわすのではなくて、建てあげるように生きていく(11節)。確かに根も葉もないことを言いふらす者もおれば、噂話に蓋をする人もいる(13節)。裁きは主のなすべきことであり、人間のすべきことではない。そのような意味で、人間は、神に造られた者であり、神が置かれたこの時代にどのように神に仕えて生きていくか、弁えが必要である。事実、人の生き方は個人だけの問題ではない。それは、町に影響を与え(10,11節)、国家の命運を左右する(14節)。だから、人がどう生きるか、人間的に質のよい生き方をすることは、極めて重要なことである。

3.質の良い人生を生きる

ではどんな生き方が質のよい生き方なのか。単純なことである。人を愛し、大事にすることだろう(12、13節)。優しさを保つことだ(16節)。思いやりのない経済学優先の生き方では、目的どおりにお金を得ても、それだけのことだ。魂の報いは得られない(17節)。みかけは美しく、優しそうに見えても、実際に付き合ってみれば、判断力が弱く、鼻につくような配慮しかできない女は、失望以外の何物でもない(22節)。大切なのはどんな中身を持っているかであり(20節)、悪や富みに熱中せず(28節)、むしろ善を求め(27節)、富を正しく用いる(25節)人生を生きることだ。神は確かに生きておられ、そのように質のよい人生を生きようとする人を祝福される。その逆もまた真なりである。

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