13章 知恵ある者となる
おはようございます。今日も落ち着いて、様々なデマに振り回されずに、歩みたいところです。まず聖書を開き、神とよき時を過ごし、冷静な心と目をもって、今日一日のなすべきことを考えましょう。互いに信頼し助け合わずして、この危機を乗り越えることはできません。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.知恵ある者と愚かな者
箴言の著者は、知恵ある者や愚か者の差や、その特徴を繰り返し語りながら、私たちに歩むべき道筋を示していく。まず知恵ある者は、親の忠告に耳を傾けるが、愚かな子は、それを蔑むだけである(1、10節)。言えば言うほどに、拗れて親が馬鹿を見るだけである。そのような子どもは、自分に自信がありすぎるのだ(10節)。だから決して自分の主張を曲げないし、素直に聞けば賢くなろうものが、決して忠告を聞く耳はもたない。本当のところ、知恵ある人の助言に耳を傾けることは、泉の水を飲むようなものだ(14節)。彼は元気になって、先の見通しを得ることができる。何よりも、人の世に散らばる落とし穴に注意深くなることができる(14節)。実際知恵ある者は、先を見て動く(16節)が、愚かな人はそうではない。ただ愚かなうんちくを聞かせたがるだけである。そのような意味では、どんな人の側にいるべきかをよく考えることだ。知恵ある人の側にいれば、知恵ある人になる。しかし、愚かな人の側にいれば悪に染まってしまう(20節)。
2.富を得る方法
またこの箴言は、富を巡って、私たちに知恵を与えようとする。怠け者に富は寄り付かない。あれこれ夢を語り、自分の願いを並べ立てるが、何一つ実現することも手にすることもない(4節)。しかし、勤勉な人は、目標を立てて着実に物事を前に進めて、富を増し加える。ただ、心得るべきは、豊かさというのは、心の豊かさであり、物の豊かさではない。金持ちで何もかもそろって、何一つ不自由しないはずなのに、いつも人を羨んでないものねだりの中で心の貧しい人生を送っている人もいれば、何がなくても感謝と喜びで、満ち足りた顔をして生きている人もいる(7節)。そもそも、何もなければ、取られる心配もない。身代金目当てに誘拐事件に巻き込まれることもな(8節)。持たぬ幸せというものがある。けれども、富を得ようとするならば、賭け事ではなく、こつこつ稼ぐことを覚えることだ(11節)。賭け事のお金は手にしても、直ぐに失われる。こつこつ貯めたお金は確実に増えていく(11節)。そしてこつこつ貯めるのに必要なのは、見識であり、見識は正しい批判に耳を貸すことによる(18節)。また必要なのは正しさである(22節)。真に喜べる富は、不正とは無縁なものだ。人間は妬み深い。人の揚げ足を取るのが好きなものだ。だから、後ろ指を指されるような富の得方をしていては、幸せはない。さあすべてが揃った、これから楽しめと思う時に、足をすくわれるような富では初めからない方がよい(23節)。真の豊かさ、幸せは、勤勉さと見識と正しさに基づくものなのだ。
最終的には、聖書の言葉に注意することだろう。聖書は、人の心の鏡であると言われるように、それは、読む者に思慮深さを与える。聖書の言葉に従えば成功がある(13節)。