18章 人を破滅させるもの
おはようございます。16章のキーワードが王であるとすれば、17章は、父と母である。18章は、隣人かもしれません。どんな人を隣人としていくか。どんな人に心を許し、共に生きていくか。やはり、その人がどんな価値観を持っているか、ということでしょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.神をこそ恐れる
1節「自らを閉ざす者」というのは、自らの欲望を満たそうと、理想を追求し、孤立していく者のことを言う。このような者は、すぐれた知性、つまり健全な知性も受け入れようとしない。ユダヤ人の聖書解釈ミドラッシュによれば、ここでアブラハムと甥のロトが思い出されると言う(創世13:9、12)。確かにロトは、主の園のように潤った土地に魅了され、アブラハムから離れていった。昨日の「パンと岩塩(1節)」の話ではないが、大局的な生き方がある。貧しさの中に、不可能性の中に、ただ神のめぐみと隣人に対する愛を大事にしながら生きる在り方と、表面的な豊かさを追求し、神も人も退けて生きる生き方である。
大切なのは自制心である。愚かさに酔うような人間とは付き合わないことだ(2節)。陰のある人や腐敗した人との付き合いは、必ず恥辱と屈辱をもたらす(3節)。というのも、愚かな者は、自分とは関係のない争いごとに手を出し(6節)、自分の言葉の罠に引っかかる(7節)。知恵ある者は、そのようなことには巻き込まれない。そして「知恵ある」人のことばは、湧き出る地下水のようだ。イエスが語ったように、そこには癒しがあり祝福がある(ヨハネ7:38)。ついでに、突然足を救われる結果をもたらす怠け者にも注意せよ(9節)。
10節と11節は、対比されている。神に信頼することは堅固な城門の中にいるようなものだ。だが、人は目に見えない神よりも目に見える確かな物を当てにする。実際お金があれば絶対安全だ、と思うものだろう。だが、そうとは限らない。神を恐れることだ(12節)。
2.人間についての真理
早合点は要注意である。物事はよく理解すべきものだ(13節)。心が元気であれば、人は病苦をも耐え忍ぶことができる。大切なのは、健康な心を維持することである(14節)。そして、物事をよく理解しようとする心、開かれた心を持てば(15節)、彼は自分の道を開くことができるだろう(16節)。ここで言う「贈り物」は、「賄賂」を意味しない。もちろん、社交的な贈り物と意図ある賄賂の区別はしばしば難しい。
家庭においても、教会においても、あるいは社会においても、争い事は、慎重に取り扱うべきものだ。初めは、声のでかい人が正しく見える。しかし、「双方」の言い分をよく聞いて全貌を理解すべきだ(17節)。偏った性急な判断は下さないことである。争い事を終結させるに最も効果的なものは「くじ」である(18節)。だがそんな不合理な決着をつける前に、争わないことである。争いを仲裁するのは、堅固な城を攻め落とすよりも難しい(19節)。ことばに気を付けることだる(20節)。
最後に「妻」と「友人」。苦しい時に、団結して物事に処するのが妻であり、友人である。苦難は人間関係の試金石である。