23章 求めてもしょうがないもの、求めるべきもの
おはようございます。人生には、求めてもしょうがないものがあるものです。一種法則というべきもので、そのようなものには、関心を向けないことです。しかし、求めるべき者も確かにあり。それは全力を傾けるべきことです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.求めてもしょうがないもの
前半は、私たちの心には自然な欲望というべきものへの慎みが語られる。食欲(1-3節)、金銭欲(4-5節)、好評や評価されることへの欲(6-8節)、教育や指導しようとする欲求(9節)、物欲(10-11節)、このようなものは、決して思うように満たされることはない、と読むことができる。確かに、食欲が盛んな者にとって、一番難しいのは、社交上の食卓に着くときだろう。それはあくまでも社交上の席であって、不興を招く所作や行為に注意せねばならない。4節、富は捉え難い。富それ自体を追及するのではなく、努力と賢い労働によって実が結ばれることを求めるべきなのだ。6-8節は、1-3節と違い、食卓への忠告ではなく、特定の人、ケチな人や、疑い深い人に招かれた時への忠告である。彼らの食卓はそれなりのもの、つまり計算ずくの好意なのだから、気に入られようとしても無駄である。9節、人はわからせよう、わかってもらうと熱心になるものであるが、そんな努力も無駄と心得よ。10-11節、神は、貧しい者の弱い者の味方である。人の弱さに付け込んで、強欲なことをすればそのしっぺ返しは必ず来るだろう。ともあれ、人間というのは、何かに困っている時、何かに執着している時にこそ心に隙ができて、後で後悔する嵌めになるものだ。自分の欲求や感情に敏感となり、所作に用心することだ。
2.求めるべきもの
しかし、譲ってはならないこともある。何がともあれ、心し、断行すべきこともある。13節、子どもはしっかり、天塩にかけて育てるべきものだ。子育ては、成績を管理する以上のことであり、生き方の姿勢、態度、価値観、全てを、愛情を注ぎながら教えて行くことである。親は、信念をもって、子どもと向かい合わねばならない。では何を教えるのか。まず、善悪の区別を弁え、正しく適切な答えを語る力を身に着けさせることである(15-16節)。また、人を妬まない、羨まないことだ。たとえ悪を行う者が成功し、誠実な労苦が実を結ばないと嘆くようなことがあっても。常に、人によくしてくださるめぐみ深い神を仰ぎ、信頼させることだ。神は貧しい者、弱い者の味方であり、決してその恵みに漏れることはない。神は、正しいことをしてくださる。神を信じる人生には希望がある(17-18節)。何よりも真理を知るように努めさせることだ(19節)。宴会好きにさせてはいけない。何か楽しいこと、面白いこと、刹那的な快楽を求める人間と行動を共にさせるな(20-21節)。酒好きにさせないことである。お金を投資するなら「真理」に対してである。知恵と訓戒と悟りにこそ、投資すべき価値がある。
26節は、不貞への警告。それ以降は、飲酒についての戒めである。避けるべきものを避け、求めるべきものを求める。しっかりとした判断力を身に着けさせることである。