3章 知恵は繁栄をもたらす
おはようございます。神の知恵を求めて生きることを教えられます。考えてみれば、神の知恵によってこの天地万物は造られたのです。その完璧な調和と美しさを思えば、その神の知恵で自分の人生を作ることがどれほど素晴らしい子とかを思わざるを得ません。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.充実した人生の秘訣
人はどんなに長い人生を生きたとしても、孤独や争いに満ちた人生で幸せだと思うことはない。しかし神の教えを愛し、神の命令に従う一生は、長寿とともに平安を約束する。すでに箴言では、知恵を求めるべきことが教えられてきたが、実際に知恵を求めるというのは、「主により頼め」(5節)「主を認めよ」(6節)とあるように、神を認め、神との関係を正して生きることに他ならない。知恵は単なる頭のよさでもないし、要領のよさでもない。それらがいくらあっても、人は幸せにはなれない。そこで充実した人生の秘訣は、第一に、敬虔さである。いわば、真実と愛を自分の人生の最高の価値として生きることであり、常に何が正しいことなのか、という観点から物事を考え、愛を持って事を行うことである(3節)。また敬虔さは、何よりも神との関係を求めていく。己惚れず(5節)、人生の全方位において神に信頼することである(6節)。自らを土の器であると謙虚に思うことだ。そして神に感謝と賛美をささげる(9節)、礼拝的人生を生きることだ。
11,12節は、唐突のようでありながら、1,2節の著者の勧めに呼応している。つまり、真実と愛に生きたところで、病や、貧しさ、そして争いに巻き込まれる人生はありうる。それをどう考えたらよいのか。へブル人への手紙の著者は、しばし神の訓練と思い過ごすべきである、と語りこの箇所を引用した。そう考えるのが正しい。神は、常に良きお方であり、全幅をもって信頼すべきお方である。
2.知恵の祝福
楽しそうなこと、面白そうなこと、目先の幸せを求めて、ふらふらする人生にはピリオドを打とう。むしろ、知恵を求めて、つまり物事を考え抜く力を求めて、その力をつけていくことに意を注ぎたいものだ。神がその知恵を与えてくださる。神が与える知恵は、この天地万物を造られた知恵である。神はその知恵をもって、朝になれば日が昇るようにこの宇宙を設計し、人の全ての営みのための、大地と海を定められた。神の知恵は、私たちが体感するように実に完璧である。その知恵をもって、私たちも自らの人生を形作っていくのである。それは、突拍子もないことではない。具体的なことだ。神の知恵は人生の下々とした事柄と結びつくものだ。実際に神が造られた自然もミクロとマクロ双方を包含しているのである。そこでミクロなことを言えば、人にものを頼まれたらすぐにする(28節)。信頼しきっている人を陥れてはいけない(29節)。わけもなく争わない(30節)。力で物事をねじ伏せ栄える人間を見ても、彼らのやり口に染まってはいけない(31節)。神はちゃんとそのような人を見ているから、彼らの最後はわかったようなものだ(31,32)。結局は真実と愛に生きる者を神は愛し、名誉と命を与えてくださる。