31章 しっかりとした女性
おはようございます。箴言読み終わりましたね。女と酒を巡る議論。しかし落としどころは、神を恐れるという所へ戻ってくる箴言らしさがあります。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.女と酒の罠
レムエルの母は、女と酒について警告する。まず女に自分の力を費やすな(3節)。東方君主の力と威光を示すと見なされる後宮についての警告である(2サムエル16:20)。しかし箴言ならではの格言というわけではない。既に、申命記17:17に、王の戒めの一つとして教えられていることだ。そして酒への警告。大切なのは、酒杯を手にしながら口を開かないことだ。王は、弱者の保護、口を開くことのできない人の代弁者たる存在である。酒は精神を混乱させ、判断を誤らせる。指導者たる者、その責任の重さを自覚しなくてはならない。
2.しっかりとした妻
10節以降は、行頭がヘブル語の22のアルファベットで揃ったアルファベット詩となっている。だから、ここだけを作者不明の独立した作品で、後で挿入されたものと見る見方もある。その真偽はよくわからないが、箴言は、愚かな女、悪女に対する警告をもって始まり、良妻を得ることへの励ましとなって締めくくられている。確かに、女性にうつつを抜かす人生は、滅びである。そしてどんな人を側に置くかは、その人の人生の質を決めることになる。だから見つけるならば、宝石よりも素晴らしい価値ある良妻を見つけよ、と(10節)。しかし、どうしていろは歌なのか。それは、いわゆる言葉遊びであるし、遊びの精神で読まなくてはならないということなのだろう。つまり、こうした良妻に巡り合えればそれは感謝であるが、逆にこうした良妻に巡り合うことがいかに難しいか、ということでもある。だからこそ、歌にして繰り返し記憶し、しっかりとした考え方を持って伴侶を選ぶ基準として役立てなさい、ということではないか。
以前、ユダヤ人が多く利用するホテルに宿泊し、安息日を過ごしたことがあるが、彼らはその安息の祝いの晩餐で、必ずこの箇所を読むと言う。つまり、食卓が整うと、安息日曜のワインを配り、家長が立ち上がって、この箇所を読むのである。
良妻は、商売をし(14、18、24節)、畑を耕し(16節)、機織りをし(13、19、21、22節)家事をし、家族の者によく気を配る(15節)。また、愛と思いやりを持ち、悩んでいる人、貧しい人に対する心遣いも忘れない(20節)。さらに知恵と優しさを兼ね備えている(26節)。働き者で、愛情深く、知恵深い、三拍子揃った女性である。なかなか見出し難い存在でもある。ということは、妻にプレッシャーでも与えようとしているのであろうか?良い妻であれ、と。そうではないだろう。この箇所が言いたい主旨は、女性の真の魅力は、表面的な美しさにあるのではなく、その人柄、品格にある、ことだろう。そして最終的には、男も女も、主を恐れ、主に仕える心を持っているかどうかを問いかけているのである。
だから彼らは、この箇所を朗読した後に、妻に一週間の感謝を述べ、妻を誉めたたえ、子どもたちにも愛情を表現し、祈りをささげ、陽気に晩餐の時を夜遅くまで過ごす。そこには、神を恐れる者として、神の用意された食卓の恵みを家族で味わう姿があった。神を恐れることが知恵の初めである、そこに立つことが家庭円満の秘訣でもある。