箴言4章

4章 神の知恵を身に着ける

おはようございます。著者自ら父や母に教えられた大事にすべき教えがあると、子に語り掛けるような書き方が面白いところです。家庭教育において大事なのは、やはり生き方を語ることでしょうし、またそれが実践知として身に着くように教えていくことなのでしょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.家庭教育を大事にする

1-9節を読むと、父親が子に、愛情深く語り掛けている場面を思い浮かべる。「私のことばを心に留め、私の命令を守って生きよ」と。あれをしてはいけない、これをしてはいけない、とお説教しているわけではない。自分もそのように育てられて、それがよかった、と思い起こしながら父が愛情をもって、将来を持つ子に語り掛けている姿である。

ある家族社会学の調査で、親が子どもと話す事柄について、学校や、勉強のことは話すが、社会や人生についてはほとんど話さない、という結果がある。その調査は、アメリカの家庭との国際比較をし、日本の家庭では特にその傾向が強い、とまとめている。聖書が教える家族文化は、まず父親が子どもと生き方を語り合うものだ。父親が、子どもに人生の生き方を諭している。父親の役割は、三様であると言われる。子どもが幼少期にある時は、子どもが母親の愛情を十分受けられるように母親を心理的にサポートする。子どもが学童期に入れば、家庭に社会の風を積極的に吹かせるようにする。そして、青年期になれば、生き方の範を示す。家庭は、学校教育の下請けの場ではない、それは、家族伝来の知恵ある生き方を伝え続ける場なのである。

2.家庭教育の要

確かに人が進む道には様々なものがある。そのような中で、子どもに分かって欲しい生き方、これが幸せの道だ、と思う道がある。人として生きるのなら、私もこのように教えられたし、これが確かな道だ、と思う道がある(3節)。それは、信仰継承という名のもとに、ただ、神を信じるか否かの押し問答になってしまうことがある。しかし家庭で伝えるべきことは、知恵を追及することであり、それは何よりも、まず物事を正しく判断しよう、と考える癖をつけさせることなのだ(7節)。

そして人生の途上で、警戒すべき人たちがいることを弁えることだ(15節)。彼らの心は常に悪に傾き、争いごとを好む。そして、人を打ち負かさなければ気のすまない人たちだ。そのような人たちの集まりには近づかず、避けて通ることだ。

さらに言えば、知恵は、ただ学ぶだけではだめであって、それから目を離さず、心の中心に据え熟慮し、口(24節)、目(25節)、足(26節)と末端の動きに伝達するのでなければ、役には立たない。」イエスが語るように、心で考えることが口から出て来る(マタイ15:10-20)のである。心と口は連動している。また目を向けるものがその人の思考を形成する。また計画が足の動きに反映される。ただわかった、わかっている、というのではなくて、自らの口、目、足の動きに自動化されることが大切なのだ。頭のよさでもチャンスでもなく、神の知恵に生きる訓練が、私たちには必要なことである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.