119篇 神の言葉の祝福
おはようございます。詩篇の中で最も長く、且ついろは歌ともなっているものです。全体にわたって「主のみことば」がテーマとなり、みことばを中心とし、愛し、従い、その祝福に与るべきことが詠われています。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.文脈
この119篇は、其々8節からなる22の詩で構成される、いろは歌となっている。つまり、最初の1~8節はすべてヘブル語最初のアルファベット、アーレフで始まり、以下同じようにヘブル語の22のアルファベットで始まる22の詩で構成されている。新共同訳では、それぞれに、アルファベットの表題が付されているので、わかりやすい。
また22の詩全体にわたり、主のみことばがテーマとなっている。だから、84,90,121,122,132節の例外を除いて、全ての節に、「主のみことば」を言い換えることばが含まれていて、それが何であり、それが私たちの人生にどのように影響するかを語っている。たとえば、神のみことばは、宝(14、72、127、162節)、相談相手(24節)、歌(54節)、蜜(103節)、光(105,130節)、永遠のゆずり(111節)というように。
2.神のことば
ともあれどの詩も、神のことばを愛し信頼することを詠っている。そこでまず、詩人は、神のことばに従うことが人生の祝福であるとする。というのも、第一にそれは人生における指針だからである。人生を清く保ち(9節)、罪から守ってくれる(11節)。だから神のことばは、第二に相談相手である(24節)。そして、第三に、神のことばは人の命である。たましいが悲しみに沈んでいる時に(28節)人を堅く支え(28節)、心を解き放ち広げてくれる(32節)。また人の慰め手である。人を落胆の沼から引き揚げる(25-32節)。第四に神のことばは恵みと救いをもたらす(41節)。神のことばを守る者、神のことばに従う者には、自由があり、ゆとりがある(41-48節)。第五に、神のことばは、人の心に歌を与える。それは、真実の歌であり、他の人々の心を打つ歌となる。というのも、神のことばには命があるからだ(49-56節)。
もし、人が、神のことばを真実に守るならば、同じ志を持つ、神のことばの友が与えられる(63節)。神のことばは分かち合われるものである(57-64節)。
だから神のことばは積極的に学ばれなくてはならない(71節)。それは、試練を通して、苦しみや困難を通して学ばれる。試練の中にあっていっそう味わい深いものとなる。たとえ、人生がついには終わりだと思える様な時も、神のことばは、新しい可能性を開いてくれる(87節)。だから敵は外ではなく、私たちの内にあり、神のことばに信頼して、神のことばの祝福を学ぼうとしない私たち自身となる(89-96節)。
こうして神のことばは、人の愛の対象となり、一日中、思い巡らされる(97節)。しばしば敵に学べとされる。しかし、神のことばに学ぶことが最良の策である(98節)。神のことばに優る教師はない(99節)。老人も知恵者であるが、神のことばにはかなわない(100節)。人にはありとあらゆるよいものに目を留める心がけが必要であるが、人でも、物でもなく、神のことばを最良の教師とすべきである(97-104節)。
神のことばに二心であってはいけない(113節)。神を心から求める生活態度を形作る必要がある。金よりも純金よりも、何よりも神の仰せを愛するように(121-127節)。また、神のことばに対する態度が色々ある中で、愚かと思われようが、ただ神のことばそのものを愛していく(140節)。それが人を真に救うことになる(137-144節)。
著者のしめくくりは祈りとなる。それは、試練や悩みの中でどのように神のことばによって養われ、成長していくかの例証である(161-168節)。