詩篇138篇

138篇 神の御業に期待する

おはようございます。私たちの人生において決定的なことは、神の憐みは尽きない、ということです。そして神の憐みは、神の御業の連続として、私たちの生活の内に現わされます。今日も、子どものように、神の御業を慕い求め、希望をもって歩みたいものです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.文脈と背景

表題は「ダビデによる」である。145篇まで続くダビデ詩篇集の最初のものとされるが、2節の「聖なる宮」をエルサレム神殿と考えれば、ダビデの作であろうはずがなく、後代、つまり捕囚帰還後、ダビデ風に作られたものと考えられてもいる。実際、2サムエル記7:18-29にあるダビデの祈りを思い浮かべる、詩篇でもある。

さてこの時、詩人は、宮にはいなかったのだろう。宮に「向かって」礼拝し、神の恵みとまことを覚え感謝している。「ご自分のすべての御名のゆえに」は、直訳は「御名の上に」である。意味的には、新共同訳のように感謝の根拠が「すべてにまさって」「みことばを高くあげられた」ことで、神は、誰の目にも明らかなように約束されたことを誠実に果たされたことを言っている。著者にとって、神がおられ、神が支えとなり守りとなり、祝福となっておられることは紛れもない事実である、というわけだ。これこそ私たちの求めるところでもある。神は実に「呼んだその日に答えてくださる」(3節)方である。

そのような意味で、この著者は、神が自分にかかわってくださった過去を思い起こしながら、自分の未来に対する信仰を抱いている。この時、著者がどのような苦難にあったのかはわからない。しかし、著者がこの詩の中で求めていることは、

  • 謙遜な者に目を留めてくださること(6節)
  • 四方八方から責められるような苦しみの中で、神が無事救い出してくださること(7節)
  • 敵の怒りから救い出されること(7節)
  • 神が自分自身に関わるすべてを成し遂げてくださること(8節)

である。

2.神の恵みは尽きない

そしてこれらを神に求める根拠として詩人が語ることは、「あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざをやめないでください」(8節)。つまり、神の恵みは尽きないこと、私たちの生活は、神の御手のわざの連続で成り立っていることだ。実に、神をあわれみ豊かな方として受け止めていく、そして日々神の御手のわざが下される、と思う時に、私たちは神の守りと救い、そのお取り扱いに自分を委ねていくことができる。

神は哀れみ深い。神は私たちに報酬以上のものを注いでくださる。イエスが、ぶどう園の農夫のたとえで語られたように、神は実に気前のよいお方である(マタイ20:15)。神の底なしの豊かさを味わい知る必要があるだろう。そして神のことばは真実である。そのことばは、決して人を裏切ることはない。むしろ語られることで、希望を見出すがゆえに、感謝と賛美を心の内に沸き立たせてくれる(4節)。

だから神に我が心を率直に語らせていただこう。神の前に遜り無一文の気持ちであることを語らせていただこう。四方八方から責められる窮状において、救い出してくださることを願おう。私たちに対して敵のように憤りをあらわにする者、怒りをぶちまける者から神が救いだしてくださるように、と神の助けを仰ごう。そしてただ神が私たちに持っておられる計画を実現してくださるように、と願おう。私たちの人生には神の御業が進められていくのだ。人生諦めるのは早い。中途崩れで工事無期延期あるいは廃止になるなど考える必要もない。神の御業がなされるように、あなたのことばは真実です、と今日も神に期待していこうではないか。

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