詩篇67篇

67篇 世界が一つとされるように
<要約>
おはようございます。クリスマスおめでとうございます!詩篇67篇、実にタイムリーに、クリスマスの意義を語る内容であることに驚かされます。天の上において神の栄光が崇められますように!そして地のすべての国々において、神の平和が受け入れられますように!今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1. 天において神が崇められるように
 この詩篇は、宣教の詩篇と呼ぶべきものである。まず詩篇の記者は、神が自分たちを祝福してくださることを切に求めている。それは、「あなたの道が地の上で、御救いが、すべての国々の間で知られるために」(2節)である。人は、神を信じる時に、神に祝福を求めるが、それは、その人を通して神の祝福が他の人々にも及び、皆が神を崇めるようになるためである。
ともすれば、人は信仰において、自分の祝福だけを求めて完結してしまいやすい。自分が祝福されればそれでよしとしてしまいやすい。信仰が自己充足的になってしまう。しかしそうであってはならない。自分に救いの御業をなしてくださった、神が世に知られ、いよいよその神の栄光が崇められるようになるためである。
毎年クリスマス、イースター、ペンテコステと特別集会を持ち、人を集めながら、結局、何をしているのか。それは、天にある神の栄光を指し示すためである。キリストにまことの命があることを伝え、キリストが神として崇められるようになるためである。
2.すべての国々で
 しかも、それは、地の上ですべての国々に示されるためである。短い詩篇でありながら、極めて重要な宣教の理念を伝えている。イスラエルの民が選ばれたのは、御救いが彼らを通して全ての国々の間に知られるためである、と。
歴史的に見れば、神は、アブラハムに「地上のすべての民族はあなたによって祝福される」と語られている。神はアブラハムにあなたを祝福すると語られただけではなく、あなたを祝福の源にすると語られた。それは、アブラハムを通して、人々が祝福される神の存在を知り、神を崇めるようになることを意味する。その後、アブラハムの子孫は、出エジプトという偉大な神の御業を経験し、荒野の40年を過ごしながら神の民となるように訓練され、イスラエルに主の王国を築いたが、それは、周辺諸国に、まことの神の存在を知らせ、神の愛を証し、神の下に一つとならせるためであるとされた。実際、王国時代の主の預言者たちは、イスラエルのみならず、アッシリヤや、モアブ、エドム、と周辺諸国へ向かって、神の御心を語っている。神の命を与える救いの知識は、イスラエルを通して世界中の国々に伝えられたのである。
しかし、彼らはその使命を理解し、その使命に生きようとはしなかった。自らを「神の選民」と考えたが、選ばれたことの誇りに胡坐をかいてしまったのである。結果、不信仰と不従順により、周辺諸国に神を証する役割に失敗してしまった。だからその使命は、今日、新しい霊的なイスラエル、すなわち、キリストを信じる者たちが担っている。パウロは言う。自分は福音に仕える者とされたが、それは、奥義を実現するためであると(エペソ3:7)。つまり自分を通して、ユダヤ人と異邦人が一つとされる奥義、キリストのもとに皆が集められ、神を仰ぐようになる働きのために福音に仕えているのだ、と。全世界がキリストの下に集められる働きを自分は委ねられているのだ、と彼は確信していた。こうして民族的なイスラエルから、霊的なイスラエル、つまりキリスト者に、全世界に神のいのちを伝える使命が、私たちにも与えられていると言うべきなのである。聖書に描かれたビジョンは、多文化・他民族的な教会形成であり、それはやがて天上の礼拝にそのままつながるものである。ただ日本人だけで固まって100人、200人と頭数を揃えることが決して教会の成長なのではない、。詩篇の著者は言う。「国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように」(5節)。「国々の民が喜び、また喜び詠いますように」(3、4節)使徒ヨハネは、黙示録の中で、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから数え切れぬほどの大勢の群集がキリストのもとにあって一つとされ、神を拝し、賛美をささげているイメージを描いている(7:9)。宣教の最終イメージはそこにある。「あなたが公平に諸国の民をさばき、地の国民を導かれるからです(4節)」神の全地に対する支配に、人々が気づき、神のもとにひざまずき、神を賛美するようになる、これが宣教の究極の目標である。この豊かなビジョンをもたらしたのが、まさにキリストであり、であるがゆえに、キリストの降誕を私たちは心から喜ぶのである。
ルカは言う。「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和が、御心にかなう人々にあるように」
天においては、神の栄光が指し示され、地の上では、全世界の人々がキリストの平和、祝福に与るように。これが、キリスト教会の祈りである。
6節は、これが収穫感謝の歌とみられる部分である。しかし、そのような具体的な祝福は、私たちに留まるものではなく「地の果てのすべての者が、神を恐れますように」(7節)という祈りに帰結する。私たちを通してあらゆる国民、部族、民族、国語の者たちが、祝福される使命が、このクリスマスの日に、私たちの当たり前の意識とされるように、祈らせていただこう。

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