雅歌4章

4章 いよいよクライマックス
おはようございます。歌劇として、雅歌のクライマックスが訪れるところです。これを舞台で見ることができたら、どんなに感動的か、と思うところでしょう。これはすべて神の愛の象徴と、キリスト教的に理解することを押さえて、雅歌そのものを味わいたいところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.ああ、美しい!
4章は、婚礼に際して、花婿が花嫁に捧げた歌、叙述歌というべきもので、この後、5:10-16、6:4-7、7:2-6、にも同じ形式が見られる。1節、男は言う。「わが愛する者。あなたはなんと美しいことよ」(1節)目を鳩になぞらえるのは、女性の清さの表現である(1節)。ギルアデの山を下る山羊の群れは、黒くつやつやした髪をイメージさせる(1節)。雌羊の群れになぞらえられる白い歯の輝き(2節)、そして赤い唇(3節)。男の文化において、思いつく限り、女性の外見の美しさを賛嘆している。頬をざくろの片割れとたとえる(3節)。ざくろは、命の木の象徴であるが、熟して割れた皮からは赤い果肉が見える。これも女の美しさを表すたとえなのだろう。首を兵器倉、やぐら、とたとえるのは日本人の文化では、ピンとこないのだが(4節)、女を飾る宝石類が女性をさらに美しく感じさせる表現法としてイスラエルではよく使われたもののようだ(エゼキエル27:11)。「そよ風が吹き始め、影が逃げ去るまでに」は、2:17と重なる。つまり、陽が昇り、闇が退くまで、あるいは、午後の風が起こり、影が伸び切ってしまうまで、つまり時を忘れてということだろう。香は愛の行為において重要な役割を果たす。互いに心と体の結びつきを求め合う激しい表現である。とにかく、文句なしに美しい(7節)。8節では、男の元へ女が高い山々から降りてくるように促されている。古代東洋の神話世界においては、愛する乙女たちは、非常に高い山々の頂から、降りてくると信じられ、そのイメージを借用したものである。つまり男は、女に神的魅力すら感じているというわけだ。確かに、あなたは私のハートを射抜いた、という(9節)。
2.愛の楽園
10節からの後半は、二人の愛の結びつきを謳歌するものである。「あなたの愛」は、単純な気持ちを語っているのではない。文脈からすれば、性の交わりをイメージさせるが、それをさらに超えた二人の内的な結合を語っている。それは、お酒に酔うことに優り、高価な香油の芳香にも優る体験である、と。11節は、いわゆるディープ・キスのことだろう。こうして男と女は、二人だけの楽園の中に陶酔していく(12-15節)。
古代東洋においては、庭園は、ことに庭園の泉は、珍しく、尊い財産であった。それは、人に奪われてはならない、覆い隠されて守られるべきものであった。その隠れた園での二人の愛が、かき立てられる。もはや、「揺り起こしたり、かき立てたりしないで(2:7,3:5)」という抑制は不要である。「北風」は元気づける冷涼感を、南風は、香草や香料の芳香を強めるものとされる。だから「北風よ、起きなさい。南風よ、吹きなさい」は、庭園に生気をさらに加えよということだろう。大いに二人の愛を煽ってくれ!ということである。雅歌が歌劇であるとすれば、ついにクライマックスの感動的な場面となったのである(つづく)。

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