雅歌8章

雅歌8章 神の愛は死のように強く
おはようございます。ミュージカル「美女と野獣」に魅せられるかのように、雅歌もまた心を捉えて離さないものですが、最後のフィナーレは、世俗のそれとは違って、いささかリアル。この後に、力強い預言者の証言が続く聖書ならではの幕引きなのかもしれません。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.雅歌のまとめ
8章前半は、7章後半の女の告白の続きとなる。つまり、お互いの仲たがいで始まった第四部は(5:2-8:4)、二人の抱擁で終わる形となっている。興味深いことに、全体の構造は、「揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目覚めたいと思うときまでは」という繰り返しで終わる部分(第一部2:7,第二部3:5、第四部8:4)と愛の成就を確認することばで終わる部分(第三部5:1、第五部8:14)があることだ。また第四部の終わり方は、ヘブル語本文では、同じ構文を取りながら、イムという副詞がマーという疑問代名詞に代わっている部分がある。「どうして揺り起こしたり、かき立てたりするのですか、愛はすでに成就しているのに」というわけだ。となれば、第三部を起点に、二人の愛は成就し、その確かさを確認するようにストーリーは進んでいることになるのだろう。
2.女の願い
そして女は男に「封印のように、私をあなたの胸に、封印のようにあなたの腕に押印してください」と願っている。もう二度と私を手放さないで、ということだろう。体ではない心が結び付いた女を捨て去ることは、もはや女のいのちを奪うことに等しい。
「愛は、死のように強く、ねたみはよみのように激しい」(6節)。人は死の門をくぐったら、もう二度と戻ることはないが、愛も同じである。不可逆的な死に匹敵する愛の力で、愛して欲しいということだろう。6節後半、原文は、リシュフェイ・エシュ、いわゆる「レセフの炎」である。レセフは、古代地中海周辺地域において、伝染病(ペスト)の神として恐れられた神である。この神がその炎を放ったら、誰もその滅びに抵抗することはできない。この台詞を語る女に、あるいはそのレセフが思い浮かべられていたかもしれない。そして愛はお金で買うことはできない。手にした愛を捨て去ってはならない、ということだろう。
3.私を放さないで
7節で雅歌の本体は終わる。8-10節は、種々の解釈があるが、合唱隊(8-9節)と女(10節)が、成人していく若い娘の心構えを語ったもの、と読むことができる。簡単に言えば、ここにも鍵概念「愛が目覚めたいと思う時までは」があるのであって、二人が結ばれるまでの慎重さが促されている。近づきがたい城壁であろうが、開きがたい扉であろうが、それによってしっかりとした貞淑さと信用さを保ちうるなら、女は男にとって平安をもたらす存在になるのである。
11-13節は、お互いの特別な結びつきを確認している。ソロモンのブドウ畑を任された者は、その収穫において、銀千枚を納めることになっていた。これは莫大な富が、ソロモンに流れることを意味していた。そのブドウ畑に畑になぞらえた女が比較される。つまりどんなに素晴らしい権勢、富、名声があろうとも、それらに優って女との愛は素晴らしいという。14節はフィナーレである。女が舞台を飛び出して語る。「急いでください。かもしかのように」放さないでと語った女が男から離れて呼びかける。男を信じる女に、神を信じる信仰が重ねられるところであろう。この後に、預言書が続くことの意味は大きい。

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