レビ記19章

19章 主の十のことば(十戒)
 さっと読むと、種々の戒めが雑多に書き留められているように見えますが、ユダヤ人の目から見れば、これらは、十のことば(十戒)の内容に沿ったものです。つまり、4節は第一戒、第二戒、12節は第三戒、3節は、第四戒、第五戒、18節は第六戒、29節は第七戒、11-16節は第八戒、第九戒、35-36節は第十戒という具合に。これらは、一戒から十戒について具体的な事例を挙げて説明しています。
1.神の価値を認め、従う(19:1-3、37)
そこで「わたしはあなたがたの神、主である」(3、9、12、14、16、18、25、28、30、31、32、34、36節)ということばが繰り返されていることに注目しましょう。大事な部分は、最後の36節です。これは十戒の前文に当たるものでしょう。つまり、なぜこの十戒が大切なのかといえば、昨日もお話したことですが、まずエジプトで奴隷として苦しめられていたイスラエルが、神に救い出していただいた関係があるからです。主なる神には恩義がある、だから、神の御心に従って生きるのであり、神のみこころとは、かくかく云々の十のことばのとおりである、というわけです(19:36)。そしてその勧め方は、先の18章では「地のならわしをまねてはいけない」(18:3)でしたが、本章ではさらに積極的に、「あなたがたは聖なる者でなければならない。あなたがたの神、主であるわたしが聖だからである」と言い換えられています。まねてはいけないのではなく、むしろ積極的に神の価値観を求めていく、神が大事にしているものを、私たちも大事にしましょう、というわけです。そこで十戒がさらに具体的、実践的に説明されているのです。
2.種々の戒め(19:4-34)
そこで3節「自分の母と父を恐れよ」と勧めます。何よりも聖さは家庭から始まると言わんばかりです。両親を敬うことは、神に対する愛の行為そのものです。そもそも聖さは、関係性の中でこそ認められるものです。個人的、孤立的なものではありません。神が与えられた関係、つまり実際の家庭、神の家族としての教会という家庭にあって、悩み抜きながら取る言動に、人々は、聖さも醜さも感じるわけです。身近な家族という関係、それはことに逃れられない関係であって、そのような関係を否定して、聖さはあり得ません。
また主は「安息日を守らなければならない」と命じられます。今で言えば日曜ごとの礼拝を守っていくことです。その昔は、聖日死守、厳守など言われたものです。今はあまり強く言われないことも多いのですが、やはり礼拝は神が召しだした時と場に赴くことが基本でしょう。そして大切なのは、「安息日」を守ることではなくて、主との「安息」を守ることです。日曜日に教会へ行くことが大事なのではなくて、その日、神の足元で神の言葉に耳を傾け、その安息を楽しむことが大事なのです。神の臨在を確かに味わうなら、聖日を守ることは喜びとなり、繰り返しになるのです。
4節「偶像」はヘブル語でエリーリーム、「意味のないもの」「実態のないもの」を意味します。確かに、木や石で造られた偶像に実体はありません。そうしたものを神として拝む虚しさは、よくよくわからなくてはならないでしょう。しかし、モノでも人でも、なんでも神にしてしまう日本人には、わかりにくい部分です。さらに、神の民の貧しい者へ配慮する心も聖さの内です。困窮する人から搾取してはならず、血も涙もないぞんざいな扱いをするような人に、神の聖さを感じられないのは、当たり前のことでしょう。やはり聖さというものは、関係性にこそ、特に、貧しい者、扱いにくい者、敵対する者にどう対応するのか、というところに如実に現れるというべきでしょう(9-10節)。
2.自分の隣人の愛(19:11-18節)
そのような意味では、家庭のみならず、あらゆる人間関係において、神の聖さが現れる在り方を考え抜きながら信仰の歩みを進めることです(14-18節)。隣人は、愛すべきものであり、憎んだり、恨んだり、中傷したりしてはならないのです。愛は多くの罪を贖う、と言いますが、今ある隣人との関係を否定して、私たちの幸せも決してあり得ません。偽りや欺き、しいたげやかすめとり、不親切、不正、中傷、憎しみがあるところに、神の聖さも実現することはありません。ただ、そのように言われても、私たちの憎しみ、恨みは、無意識レベルの出来事です。大切なのは、キリストの救いにより頼むことでしょう。キリストを信じるというのは、一度信じてそれでよしというのではなく、何度も悔い改め、罪赦され、新しくされる、繰り返しの歩みです。
3.様々な規定(19:19-37)
最後に、諸習慣において神の聖さを意識していくべきことが教えられます。異種混合が禁じられます。また異教の習慣である血が完全に抜き取られていない食物、易、まじない、霊媒といった迷信的行為、入れ墨の禁止、老人を大切にし、外国人には親切にし、商売は公正に行う。理性的に考えれば、当たり前に言われていながら、出来ていない事柄です。神を信じる者は聖霊の助けによってこれらのことをなし、神の聖さを証しするのです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。新約聖書の時代、近親姦の問題で教会がパウロの指導を必要としたのは、どこの教会であったでしょうか?答えは、コリントの教会でした(1コリント5:1)。教会の中に世の中の慣習が入り込むことはあるものです。しかし、大切なのは、そこで単純に物事を否定するのではなくて、愛をもって、神の民としての歩みをともに整えていくことです。では、今日の聖書クイズを一つ。ひげを大事にし、特別な機会以外は剃らない文化を持っているのは、イスラエル、エジプトどちらでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>
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