1サムエル記13章

13章 待てなかったサウル
<要約>
おはようございます。サウルの戦略の失敗が記されています。その失敗の本質は、主の軍の将に服することのできなかったこと、神の指示を待てなかったことにありました。しかし、組織的で圧倒的に優勢のペリシテ軍の網の中に、彼とヨナタンがぽつねんと置かれた状況を思うと同情したいところですが、神に遅すぎることはありません。信仰を持つことの厳しさを思わされるところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1. サウルの統治
 聖書の数字の問題はいささかややこしい。新改訳第三版では、サウルは、30歳で王となったというが、これはどうもありそうもない。すでにサウルの子ヨナタンは戦士となっている。また、13年間王であったとされるが、使徒13:21では、40年間とある。このあたりは、ヘブル語本文の復元ができなかった写本の問題なのだが、新改訳2017では、「サウルは、ある年齢で王となり、二年間だけイスラエルを治めた」と改められている。二年間はマソラ本文通りであるが、短すぎるという指摘もある。ここは、曖昧なままに受け止めていくほかはない。
2.サウルの危機
ともあれ、サウルは、イスラエル最初の王として立てられるのであるが、やがて神に退けられていく。何が問題であったのか。サウルの問題点の一つがここに描かれている。
事の発端は、ヨナタンがペリシテ人の守備隊長を打ち負かしたことにあった。この時、イスラエル勢のヨナタンはギブア、サウルが、ミクマスとベテルの山地、とヨナタンがよりペリシテ側(西側)に食い込む形で布陣していた。その中間のゲバにペリシテの長がおり、ヨナタンに討たれたというのであるから、恐らくヨナタンが先発隊でゲリラ戦で勝利したのだろう。ヨナタンの勝利はペリシテ人の恨みを買い、ペリシテ人がイスラエルと戦うために集まったという。ペリシテはミクマスに集合した。ペリシテ人はサウルが陣取っていた場所を奪い取り、新たにギルガルに集められた後方の兵站部隊との間に割り込み、分断する形で、戦車3万、騎兵6千という大群を集めたようである。兵力の差は歴然とし、ゲリラ戦を余儀なくされたヨナタンとサウルの部隊は、ペリシテの大群によって、まさにひどく追い詰められた状況にあった(6節)。彼らは、洞穴や奥まったところに、隠れて、震えていた。
3.サウルの失敗
サウルとサムエルの間には、危急の際には七日以内に集まる約束があったのかもしれない(8節)。また、サウルは、戦いの前に、主がイスラエルに勝利をもたらしてくださることを確認するためのいけにえをささげ、兵士の士気を高めたいと思っていたのだろう。しかし、サムエルは現れなかった。サムエルあってのサウルの権威であったのだろうか、多くの者が戦列を離れ始めていた。もはや、戦争を始める前に、軍隊はがたがたになりそうだった。何らかの手を打たなくてはならない事態に陥っていた。そこでサウルは、自らいけにえをささげてしまう。
しかし事実は、サウルはサムエルを待てなかったのではない。神を信頼できない自分に勝てなかったのである。神の助けを祈りながら、神の助けが、なかなか与えられないとやきもきしてしまうことはあるものだ。もはや神も当てにはなりそうもない、自分でなんとかしなくては、と行動してしまうことがある。そのように神に寄り頼めないところに、神の器たる者の失敗があった。イスラエルの王制と、他国の王制との本質的な違いは、立てられた王が、主に従う王であることだ。最高責任者は万軍の主であり、主の指示を待たなくてはならなかった。求められていたのは、王国を主のものとして統治するしもべたる王である。
4.求められた信仰
旧約聖書時代の戦争の特色は、強者の勝利ではなく、弱者の逆転勝利にある。イスラエルの兵士は民兵組織であり、常に少数、劣勢、兵器もいまだ青銅器時代のものであり劣っていた。一方カナン人は多数、多勢、優れた鉄器の武器を持ち、太刀打ちできる相手ではなかった。実際この戦いでも、イスラエルと戦うために集まったペリシテ人は、海辺の砂のように、と表現される多勢で、それに対するイスラエルの戦力は3千、しかも、当時イスラエルにはまだ鍛冶屋がなく、剣や槍を持っていたのは、王とその子、サウルとヨナタンだけであったという。これは明らかに勝ち目のない防衛戦である。そこに、神が、介入し、神の正義と栄光が現されるというのが旧約聖書のパターンであり、それは後の十字軍的な聖戦とは全く性質を異にしている。だから、極端なことを言えば、民が散ろうが散るまいが関係のないことであって、ギデオンの時のように十分の一の300人に削られようとも、主がともにいるならば恐れることはないという腹積もりが必要とされたのである。
サムエルが去った後、サウルの兵は、ヨナタンが打ったペリシテの長がいたゲバに布陣したが、その数は600人に減じていた。ペリシテは、北のオフラ方面、西のベテ・ホロン方面、死海に近い南東のツェボイム方面の3部隊に分かれて行動を開始したとある。サウルがいたゲバは、これらの動きを見通せる明らかに地政学的に優位な位置にはあったが、ペリシテ側はゲリラ戦で逃げ隠れするヨナタンとサウルの二つの部隊に広く網を討ち、一網打尽にする戦略を敷いたのである。ヨナタンとサウルには危機が迫っていた。
ただ覚えたい。神から出たことであれば、神が一切のことをなしてくださる、神が道筋をつけてくださることを私たちは忘れてはいけない。遅れているように見えることがあっても焦らずじっと神の導きを求めていけば道が開かれるものである。神に先んじることなく、神が動かなければ神とともに待つ。悪いことも、これで終わりというのではなく、神の時と受け止めていく。信仰者であればそうしたい。今日も神のしもべとして歩ませていただこう。

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