1列王記12章

12章 王国の分裂、ソロモンの後継者レハブアム

<要約>

おはようございます。分裂王国時代の記録へと入っていきます。ソロモンの輝かしいイスラエルの全盛時代は過ぎ、王国は、北と南に分裂していきます。それぞれの王の歩みが記載される中に、私たちがいかにあるべきかを教えられるところでしょう。また基本は申命記に照らして、王の生き方がそれに相応しい報いを受ける記録でもあるということです。それでは、今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.レハブアムの政治

ソロモンに代わってレハブアムが王となった。彼はシェケム、かつてヨシュアの時代に、全イスラエルが神と契約を結んだ地へ行った。そこで彼を王とするために全イスラエルが集まっていたからである。それを聞き知ったヤロブアムが、亡命先のエジプトから帰還した。ヤロブアムがイスラエルを代表して、税、役務、兵役を軽減するように交渉した。

レハブアムは、長老と、若者たちに相談したという。彼はこの時41歳、レハブアムは長老の知恵ある助言を退け、血気盛んな若者の助言を受けいれた。彼は与えられた地位と権威を正しく理解していなかった。地位も権威も、民に仕えるためにあり、仕えるリーダーシップによって、民もまた王に仕えるのである。こうした認識不足が、結果、イスラエルの分裂を引き起こしていく。これは教会をまとめ上げる努力にも通じることであり、求められるのは、上から命じる司令官的なリーダーシップではなく、下から支え使える養育的なリーダーシップである。

レハブアムは、はじめ外交手段をもって、この事態を修復しようとするが(18節)、それが不可能だとわかると武力に訴え出ようとした。けれども、おそらく、ヤロブアムにはエジプトの後ろ盾もあったのだろう、エジプトの侵略の脅威も迫っており(14:25-26)、レハブアムは、預言者シェマヤの忠告に従って、彼は戦争によるいすらえるの再統一を断念するのである。こうして、イスラエルの12部族は、レハブアムとヤロブアムの二人の王を立て、北と南それぞれの道を進むことになる。

2.北イスラエルの動き(ヤロブアムの政治)

さてソロモン王以降、ヤロブアムが王になるやいなや、北のイスラエルには、一挙に、偶像礼拝が入り込んだ。その動機は、「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう」というものである(26節)。ヤロブアムは王位に就き、どのように国を治めるべきかについて、人の助言を得る、あるいは自問自答する(28節)というものであり、神に聴くというものではなかった。彼は結果、金の子牛を造り、これを拝むように教え、宗教的な統一を図っていくのである。ヤロブアムの罪は、積極的に人間的な知恵に向き、神に背を向けていくところにある。彼はまことの神ではない、偶像を造り、これを拝むように教えるのである。聖書はこれが罪になった、と語る。

3.ヤロブアムの罪

これ以降、聖書は「ヤロブアムの罪」もしくは「ヤロブアムの道」という慣用句を度々引用する。その本質は何かというと、国が寄り頼む神として、人の手による偶像礼拝の対象を作ったこと(28節)、主の臨在が約束されたエルサレムの神殿から、ベテルとダンに礼拝場所を変えたこと(29節)、そして、律法の定めによらない、一般の民の中から聖なる祭司を任命したこと(31節)、自分で勝手に考え出した月にいけにえをささげるようになったこと(33節)であり、つまりは、聖書が定める通りに物事を進めなかったことにある。

かつてダビデは、契約の箱を運ぶ際に、牛車を用いたが、それが主の定めのとおりでないために裁きを受け、これを律法の定めの通りにやり直したことがある。その後のダビデは、常に神に聴く、神に教えを乞うところを大事にした。しかしヤロブアムにそのような姿勢はない。神のみこころを思わず、自ら考え、よしとするところで物事を進めていく、それが彼の罪となった、というわけである。

私たちが神と共に歩もうとするならば、どこかで神に聴く姿勢と神に聴く習慣を身に着けなくてはならない。神は偶像ではなく、意思を持ったお方である。私たちに対する祝福の計画を持っておられるお方である。この方を無視することは、人生の大きな損失である。

 

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