20章 アハブとアラムの王
<要約>
おはようございます。アハブとアラムの王の戦いが記録されています。それは、小国同士の守りを固めるためには起こりうる戦いでしたが、この戦いによって、神はアハブにご自身の存在を明らかにしようとされるのです。カルメル山頂の特別な出来事ではなく、それこそ日常性の中で、神の助けを得る機会を与えて、神を信じるように仕向けるのです。私たちの生活の中に働かれる神に心を向けたいところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.イスラエルとアラムの戦い
神は、旱魃による飢饉を通して、ご自身の存在を知らせようとした(19章)。本章においては、戦争の危機によって、ご自身の存在を明らかにされようとする。この時代、イスラエルは、アラムの軍事力に脅かされていた。というのもアッシリヤの南下により、北イスラエルを制圧し、南側の守りを固めたい意図があったのだろう。ベン・ハダデ1世は、ユダの王アサと同盟を結び、イスラエルの王バシャを威嚇したが、ベン・ハダデ2世は、全軍を率いてサマリヤを包囲し、イスラエルの王アハブに従属を要求した。しかしアハブは、戦争を準備することと、戦争に勝つこととは別ものである(11節)と強気に応じた。しかしそれは明らかにはったりであり、彼は勝ち目のない戦争を強いられる結果となったのである。そこで神は、この機会を用いてご自身の存在を明らかに示されようとした。神は預言者を遣わす。アハブは、状況からして、素直に従わざるをえなかった。預言者が勧めによって招集された兵士は232人。正規軍の数は1万人とされたから、これもまた、ギデオンの戦いのような(士師7:2)少数の選びの者による奇跡的な勝利となった。神はご自身のことばが真実であることを示されたのである。
2.二回目の戦い、明らかな神への挑戦
そして翌年、再び戦争の危機が生じた。しかもそれは、明らかに、イスラエルの神に対する挑戦としてなされる戦争であった。「彼らの神々は山の神です。だから彼らは私たちより強いのです。しかしながら、私たちが平地で彼らと戦うなら、私たちのほうがきっと彼らより強いでしょう」と、ハダデは平地での戦いを要求した。戦場は、ダマスコからイスラエルへの途上で、ヤルムク川とヨルダン川の合流点に近いガリラヤ湖東方のアフェクと考えられており、アラムはイスラエルの心臓部にかなり食い込んだ、戦いを要求したことになり、イスラエルは危機的状況に追い込まれていたことになる。しかし聖書の神は、ハダデが考えるような神ではなかった。イスラエルは一日のうちにアラムの歩兵を10万人打ち殺した、という(29節)。古代の戦争では、1日に100人の戦死者が出ただけで大事であったと言われるから、10万人というのは、神の介入以外には考えられない大変な出来事である。また、27,000人の残りの者に城壁が崩れ落ちたこともそう考えてよいだろう。まさに神による聖絶だったのである。しかし、それでもアハブは神を認め、神に従おうとはせず、ハダデと取引をし、父オムリの時代に奪取された町々の返還を実現し、さらにダマスコに市場を設けることを選び、ハダデを逃がした。これは後に、致命的なミスとなって、跳ね返ってくる。
預言者エリヤを通して、アハブを描く1列王記の記事は、特異である。歴代誌にはない。しかも、アハブが異邦人の血筋の王であるとしたら、神がアハブをそれまでのイスラエルの王と同じように扱われたことは、神が万人の神であることを如実に語るものである。神は、アハブが神を信じない者であることを承知の上で、さらにその出身、家柄、育ちとは全く関係なく、アハブに助けを与えられた。神はいかなる人に対する差別もなく、私たち一人ひとりとも向かいあってくださる。無名の私たちにもご自身の力を現してくださる。今日もこの神にこそ祈りをささげ、信頼させていただこう。