1歴代誌26章

26章 門衛

<要約>

おはようございます。レビ人は、いくつかの役割を与えられました。昨日はたとえて言えば、聖歌隊でしたが、今日は受付、会計、そして教育、行政といった働きです。それらは皆教会の任命を受けて、教会の働きとしてなすことが大事で、個人プレーでよしとされるものではありません。教会に根差し、キリストの体の一つの役割を担っていることを覚えて今日も、忠実に仕えてまいりたいものです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.門衛について

門衛は、新約聖書では、「門番」と訳されている(マルコ13:34、ヨハネ10:3など)。数は4千人、主としてコラ族とメラリ族の子孫がその役割を担った(1-19節)。実際に彼らの仕事は、異教徒の攻撃や妨害から、再建したエルサレムの神殿を守ることにあり、それゆえ彼らには二つの特性が要求された。一つは勇士であること(6、7、8節)。いざという時には勇敢に行動しなくてはならなかった。また、思慮深い者であること(14節)。だれを通し、だれを阻むか、秩序をもって、大勢の人数をさばいていくためには、知恵が必要とされた。勇気と思慮深さ、これが門衛に要求されたことである。

彼らの奉仕は今日でいえば、教会の受付係に相当する。礼拝の奉仕ということからすれば、受付係は、週報を手渡す、出席簿にチェックする、仕事のように思われるかもしれないが、実際には、新しく来会した人の特性を一瞬で見分け、援助が必要な人には、それなりの手助けの出来る人へと導いたり、あるいは、霊的必要のあるなしを見極め、礼拝後、牧師に導いたりするぐらいの思慮が必要なのである。そのような受付係が居ればこそ、その教会は、教会としての機能を大いに果たすのである。

彼らの奉仕もくじで割り当てられ、それぞれが神のみこころと信じて、くじによってあてがわれた奉仕に就いている。旧約時代、くじは、神のみこころを知る手段としてよく用いられた。「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る」(箴言16:33)とあるように、これは、後に、12使徒を補充する手段としても用いられている。つまり選ばれた者たちの間に優劣はない。神が必要に応じて選んでくださり、それぞれに奉仕を与えてくださるのであって、その奉仕をそれぞれが一生懸命忠実に行うのである。

2.宝物蔵を守る者

20-28節は、宝物倉を守る者たち、つまり財務担当についてである。これが門衛に関連して語られているのは、神殿の「宝物倉」が門の近くにあったからだろう。宝物倉は、二種類あった。「神の宮の宝物倉および聖なるささげ物の宝物倉」(20節)とあるように、前者は、聖な器具や通常のささげ物、いわゆる一般会計的な内容を保管する倉であり、後者は、これまでの戦いで得て聖別してささげられた戦利品、つまり特別会計的な内容を保管する倉(26-28節)であった。ただ神殿はこの書が記された時にはまだ建てられていない。

3.さばきつかさ

29節「外の仕事」は、神殿内部ではなくて外部の仕事である。彼らの仕事は「つかさとさばきつかさ」(29節)とあるように、律法を教え、律法に従って民をさばくことであった。また、「すべての主の仕事、王への奉仕」(30節)「神に関する事がら、王に関する事がら」(32節)とあるように、神殿納金と王の税金収納にも携わったと考えられている。いわゆる行政官である。ヨルダン川西方に1,700人(30節)、一方、「ルベン人、ガド人、マナセ人の半部族」(32節)つまりヨルダン川東方に、2,700人が割り当てられた。東方は多くの異教の国々と接していたため、神の律法から迷い出る危険も多く、そのように数が多かったという説もある。

ともあれ、門番、宝物担当、そして役人たちが選ばれて、神殿の奉仕に就いていた意義を、考える必要がある。今日でいえば、受付にしても、会計にしても、また教会学校教師にしても、教会において自分の果たすべき役割がある、という自覚のある人ない人ではやはり奉仕に対する取り組みも違う。奉仕というのは、思い付きでするものでもないし、自分が進んでやりたいことをやるものでもない。やはり教会の任命を受け、教会に対して責任を負う形ですべきものだろう。主が私たち一人一人を教会の働きに選び、任命してくださっている、という思いをしっかりもって、主の奉仕に携わらせていただきたいものである。

 

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