2列王記20章

20章 ヒゼキヤの病と癒し
<要約>
おはようございます。本章のヒゼキヤの病と癒しの記事は、18、19章に先んじたものであったようです。時間的に記事が前後していることが聖書には多々あるので、よく理解を深めなければならないところでしょう。しかし、そのように時間を再構成してみると、さらに見えてくることもあります。主に信頼する深さが何によって形づくられていくのかを考えたいところです。今日も、あなたが主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1. ヒゼキヤの病と癒し
ヒゼキヤにまつわる奇跡のエピソードが二つ続く。病気になって死にかかっていたヒゼキヤの涙を見て、神がこれを思い直され、彼の命を15年伸ばしたこと、そして、ヒゼキヤがしるしとして求めた、日時計の陰を10度後に戻されたことである。神は、時を支配する。神にとって時を15年先に伸ばすことも、10度後に戻すことも容易いことである。そんな神に信仰を持つことの意味を改めて思わされる。
しかも、この出来事は、アッシリヤの脅威にさらされていた時に起こったもののようである(6節)。というのも、ヒゼキヤの治世は、29年であり、治世の第14年にアッシリヤの侵攻があり(2列王18:13)、この病の後15年生きることが許されたと考えられるからである。そしてさらに、後の記述からもわかるように、どうやら、アッシリヤに、賠償金を支払う前のことであった、と考えられている(2列王18:15-16)。つまり、時系列的に整理すると、ヒゼキヤの病(20:1-11)、バビロンの使者に対するヒゼキヤの失敗(20:12-19)、アッシリヤの侵略と宝物の明け渡し(18:13-16)、アッシリヤの潰滅(18:17-37)となる。となれば、昨日のアッシリヤ侵略に際してのヒゼキヤの信頼の強さは、どこから来るのか、と言えば、本章の個人的な病の癒しの経験がかなり大きな力を持っていた、と言える。大事なことは、神との間に揺るがない、信頼関係が形作られることである。そして信頼関係の形成は、私たちが神に心を開くことから始まるのである。
実際、ヒゼキヤは「顔を壁に向けて、主に祈った」という。ヒゼキヤは、イザヤの言葉を受けて、神に心を向けて訴えた。彼にとっては、イスラエルのどん底の状況を持ち上げようとする志も半ばで、何ゆえに、死ななくてはならないのか、と納得できなかったことだろう。彼は、イスラエルから偶像を一層し、神の民の国を再興しようとしていた。
神は、そのヒゼキヤの心をご覧になり、祈りに応答した。そして、「三日目には、あなたは主の宮に上る」と、ヒゼキヤが、礼拝的生活を回復することを約束される。確かに、ヒゼキヤの改革は、神を第一とする、神を礼拝する民の形成であって、神はその姿勢を承認し、その姿勢を後押しされたのである。そして、さらに神は、アッシリヤからの救いを予告される(6節)。ヒゼキヤが神を信頼し、なおも神の助けを求めたことは言うまでもない。
2.ヒゼキヤの失敗
 このように神に心から仕えたヒゼキヤであるが、ヒゼキヤは大失敗を犯している。彼はバビロンの使者を歓迎し、見舞いを喜び、全ての宝庫、宝物蔵にあるものを見せた、という。ただヒゼキヤは、バビロンを過度に歓待したわけではなかった。こうした高価な品々の宝物庫を披露することは、同盟関係を証する一般的なことであった、とされる。彼が単純に見舞いを喜び外交辞令としてすべきことをしたとなれば、何が問題だったのか、と思うところであるが、やはり、バビロンを歓迎し、反アッシリヤという協調を手放しで喜んだ、聖書が語らぬ彼の罪があったのだろう。つまり、彼は無意識のうちに神ご自身に頼ることから、自らの知恵と新しい協力者に頼る心に傾いていたのかもしれない。だからこそ、彼が、「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい(19節)」というのは、身勝手なことばというよりは、自分に対する戒めとして、18、19章に描かれたアッシリヤの侵略に際して、バビロンに援軍を求めず、ただ主の前に使者の手紙を受け取って読み祈る行動へと結びついたのだろう。彼は、主の警告をそのまま受け止め、従うところにアッシリヤの脅威からの救いがあり、平和と安定があることを信じたのである。
協力者は協力者として喜び迎え入れなくてはならない。しかし、協力者の協力の結果を出してくださるのは主である。全てよきものは上から来る。主が全てである。こうして「彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどのものはだれもいなかった。彼は主に堅くつき従って離れることなく」(2列王18:5,6)と評される彼の人生があった。
3.ヒゼキヤの業績
ヒゼキヤの大きな業績付加される。特筆されたことは「トンネル工事」である。それは、「ギホンの泉」から涌き出る水をセンナケリブに利用されないように隠し、城内までトンネルを掘って引き入れるものであった。1880年シロアムの池に水を注いでいるトンネルに少し分け入った壁に古代ヘブル文字で刻まれた「シロアムの碑文」が発見され、その工事の事実は裏付けられている。歴史に実在したヒゼキヤの信仰に学ぶところである。

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