2列王記21章

21章 マナセ
<要約>
おはようございます。ヒゼキヤの子マナセは、父の努力を全て無にするリーダーでした。彼は55年の長期政権を誇りますが、その治世に、真実さはありませんでした。そんな時代もあるものです。しかし善生は長生に優る、はかない世であればこそ、きらりと輝き、希望の光を投げかける人生を生きたいものです。今日も、あなたが主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.神を認めない悪王マナセ
ユダ南王国では、概して、悪王の場合その政権は短いのが常であった。しかし、マナセは、55年という長期政権を誇った。善王であったアザルヤの52年をゆうに超している。そしてマナセの悪王ぶりもすさまじい。彼は、父ヒゼキヤが打ち壊したバアルやアシェラのための祭壇を築き直し、エルサレムの主の宮に、アシェラ像や異教の祭壇を置いたのである。もはや、初代の王、ダビデやソロモンが、主の宮にかけた祈りと願いは忘れられてしまった。神に対する信仰は継続されてはいたがもはや形骸化していた。
しかしながら、こうした記録は、何を物語っているのか改めて考える必要がある。というのは、列王記は単なる王の年代記ではなく、申命記的歴史、つまり、申命記に現わされた神の愛に、それぞれの王がどのように応えて生き、その報いを受けたかを示す記録である。それは善い王と悪い王がいたことを記録しているのではなく、神を認め、応答した王とそうではない王の記録だ。だから神を認めないならば、結局、神を知ってはいても、異邦人の王と同じ歩みをしてしまう、のである。それはちょうど、神を知ってはいても、神に応答しない信仰者の考え方や生活が、世俗的な生き方と何ら変わらない、あるいはその罪のゆえに一層悪い人生を歩む現実に通じるものである。
ただ、マナセが「異邦人よりもさらに悪いことを」した、というのは、異邦人よりも多くの罪を犯したということではなく、主の神殿にわざわざ偶像を安置したところにある。積極的な神の否定である。ヒゼキヤが積極的に応答したとすれば、マナセは積極的に否定したのである。
ただ、マナセがそのようになっていく背景もあったのだろう。彼は、ヒゼキヤの病の後に生まれ、アッシリヤ帝国の最盛期に生きた人である。つまり彼は、アッシリヤがユダ南王国を貢納国とし、上エジプトまで支配し、地中海沿岸のウィア・マリス(海の道)を自由に行き来した時代に王となった。アッシリヤは、自国の偶像を支配国の神殿に安置することを受け入れる限り、その国の存続を認めた。マナセが積極的に神を否定したのは、彼の個人的な信仰から神に敵対したというよりも、アッシリヤの圧力を恐れる彼の性質の弱さのためであった、とも言えるのである。わかっていても、正しいことを選択する勇気を持ちえないのが人間である。ことに、脅威にさらされて、そのストレスに耐えられずに、理不尽なことをしてしまう弱さがある。ヒゼキヤのような勇気ある信仰を持ちえる人は稀というべきだ。マナセは、ヒゼキヤが打ち壊したものを再建し、それ以上に、国を異教化させていく。さらに、伝承によれば、預言者イザヤを弾圧し、殉教させたとも言う。彼は、主にあって戦うことを知らず、戦うことのできない二世であった。
2.神のマナセに対する忍耐
しかし神は、そのような弱さにあるマナセを55年の長きにわたり待ち望まれた。「主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです」(2ペテロ3:9)とペテロは語ったが、神は、人が滅びてしまうことよりも、悔い改めて、立ち返り、神に応答することを期待しておられる。人は不快なもの、見込みのないと思うものはバッサリと切り落としてしまうが、神はそうではない。神は人の心の変化に55年の猶予を待ち望まれるお方である。ほぼ人の全生涯というべきではないだろうか。実際、マナセは、晩年に悔い改めている(2歴代33:12)。魂の救いのために50年待たれた神の真実がある。
神を知ってはいても、神に応答しようとしない人は珍しいことではない。むしろそれが自然なのだろう。そして宣教は少しも進まないことがある。しかし、宣教の神ご自身が忍耐を示される神であることを覚えたい。つまり、たとえ50余年が過ぎようとも、だめだとあきらめるのではなく、いつでも神の期待と神の望みを持ちながら祈り続けることだ。そしてまた自分自身に対しても、やはり、豊かな神のあわれみと期待があることを覚え、絶えず心から応答する者とさせていただきたいものである。

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