10章 レハブアムの統治とイスラエルの分裂
<要約>
おはようございます。このところ雨が続きます。鬱陶しいようでありながら、穀物には必要な恵みの雨でもありますね。よき収穫を心に描きながら、静かに積み重ねるように、過ごす日々もあります。聖書通読共に、進めてまいりましょうね。聖書通読オフ会(聖書通読道場)もぜひおいでください。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.ヤロブアムの台頭
10章より2歴代誌は、第三部、つまりソロモン以降のユダの王たちについての記録となる。ただここには、1列王記(11-13章)にあるようなソロモンの変節や神の警告についての記録はない。ソロモンは晩年に神に背いて多くの妾を囲い、偶像崇拝に走った。その浪費三昧の生活を維持するには、国民に容赦のない重労働を課す他なかったのだろう。そのようなそのようなソロモンを神が裁かれたのは明らかである。しかし、王国が分裂したのは、ソロモンただ一人の問題だけによるのではなく、神の律法に不従順であった息子レハブアムの愚かな判断や、家臣のヤロブアムの反逆にも起因した。
後継者レハブアムに対抗したヤロブアムは、若い頃その手腕と働きを見込まれ、ソロモンに抜擢された人物である。彼はアヒヤの預言によって自分がやがてイスラエルの長とさせられることを知り、ソロモンに反逆し、長らくエジプトに亡命していたのである(1列王記11:28)。そのヤロブアムがシェケムに戻ってきた。そしてソロモンの後継者として、戴冠しようとするレハブアムに、北方10部族の代表として面会した。こうして読むと、イスラエルには、既に南ユダと北イスラエルそれぞれのネットワークができていたことがわかる。もともとダビデがイスラエルの王になった時も、二つのグループの統合が焦点であったが、その後ソロモンの時代には、その区別は目立たないでいたが、レハブアムの時代になると、再びその状況は明らかとなり、いよいよ分裂の危機を迎えていくことになる。ともあれヤロブアムは、レハブアムにこれまでの重税や労役の軽減を求めた。
2.レハブアムの対応
この事態にレハブアムは、長老たちに相談し、さらには、自分と一緒に育った若者たちに相談し対処しようとした。彼の祖父ダビデであれば、まず神に伺うところであろうが、彼は神に祈ることもなく人のことばに耳を傾けようとした。そして「王の心が自分の同胞の上に高ぶる」(申命記17:20)悲劇が起こった。実際、レハブアムは、長老たちの助言が王威を損なうものと考え、これを退け、自分とともに育った若者たちの甘言に耳を傾ける。思慮の乏しい若者の気ままな言葉に耳を傾けたその結果は、命からがらエルサレムに逃げ帰るものとなった(18節)。
モーセは申命記に王たちに対する戒めを書き遺している。それは、軍事力に頼ってはならない、同盟に期待し過ぎてはいけない、女にうつつを抜かしてはいけない、金儲けに走ってはいけない、と一般的なことを戒めながら、さらに神のみおしえを、手元に置き、一生の間読み続けるようにと諭している。それによって主を恐れ、みおしえを行い、同胞の上に高ぶることがないため、命令を守り続け長く王国を治めることができるためである、と(申命17:18,19)。しかし晩年のソロモンはそうではなく、レハブアムも同じ道を歩んだ。こうした、変化が重なって王国は分裂していくのである。王国分裂は神のさばきとして語られる。「神がそうしむけられたからである」、と言う(15節)。原意は、「神による事態の転回」である。人間の愚かさによってそうなったというよりも、神が人間の愚かさを見て、そのように事態を変えられた、という。神が味方にならなければ、私たちの働きは空しい。私たちの働きが生きるも死ぬも、まさに神ご自身の意思による。目に見えない神をこそ畏れ、神に従う歩みをさせていただこう。