35章 ヨシヤの祝う過ぎ越しの祭
<要約>
おはようございます。今日の箇所を読みますと、信仰がいかに余裕のあるべきものであるかを教えられるところでしょう。堅くではない、柔軟さのある信仰の歩みが、私たちには必要なのであって、頑迷な信仰者であってはならないのです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.過ぎ越しの祭りの再開
ヨシヤは、過越のいけにえをささげた、とある。何気ない書き方であるが、当時のユダヤ人にしてみれば、それは実に大きな変化であった。というのも、当時のユダヤは世俗化しており、ユダヤ人が主に祝っていたのは仮庵の祭りであったからだ。その祭りは、収穫祭(出エジプト23:16,34:22)とも呼ばれ、刈入れが終わったその年にもたれた。この祭りの七日間は、木々の大枝となつめやしの小枝からできた仮小屋に住むように命じられたために、「仮庵」と呼ばれるようになったものだ。つまり元々はイスラエルの民がエジプトから脱出した歴史的出来事を思い起こし、荒野での放浪と仮住まいを記念する意味合いを持つ(レビ23:43)ものであったが、その歴史的意味はいつしか形骸化し、周囲の国々と同じように、ただの収穫を祝う祭りとなっていたのである。
そのような状況で、過越のいけにえがささげられたことは、祭りの歴史的原点に立ち返ることが意識された、ということだ。過越の祭りでは、家族の人数に応じて、傷のない一歳の雄の子羊が選ばれ、ほふられた(出エジプト12:6)。その血は、家の門柱とかもいに塗られ、子羊の肉はその頭も足も内蔵も火で焼かれ、その肉は、種を入れないパン、苦菜と共に食された。この出来事を通じて、イスラエルの民は、神がエジプトの奴隷状態から自分たちを救い出してくださったこと、そして、約束の地に定住させてくださったこと、さらには、神がアブラハムの契約に忠実であったことを思い起こさせられるのである(ミカ6:4-5)。
新約聖書において、この過越の祭りは、イエスの十字架の恵み、つまり罪の束縛と永遠の滅びからの救い、神の怒りからの解放を覚えさせるものである(1コリント5:7)。ともあれヨシヤは、イスラエルに真の礼拝を回復し、聖書は、「預言者サムエルの時代からこのかた、イスラエルでこのような過越のいけにえがささげられたことはなかった」(18節)と証言している。
2.過ぎたヨシヤ
ところが、その後に書き加えられたエジプトとの戦争のエピソードはいささか不可解である。この時代、アッシリヤは、バビロンに勢いに飲み込まれようとしており、アッシリヤに従属していたエジプトは、これを助けようと北上していた。ヨシヤはそれを阻止しようと、メギドで待ち構え、その地形的な利点を活かして挟み撃ちでこれを迎撃する計画であったのだろう。そして彼には、神が自分の味方をしてくれる、という算段もあった、と思われる。だが、彼の軍隊は、メギドという戦略的に優位な位置で戦いながらも、エジプトの軍隊を追い返す、あるいは滅ぼすには、あまりにも小さすぎたのである。いや、神に大軍も小軍もないとすれば、これほど徹底的な神のみこころに沿った改革を行いながらも、神がこのヨシヤの迎撃をみこころとしなかった、ということに尽きていく。事実、歴代誌の著者は、ネコのことばが神から出たことばであった、とする。ヨシヤは神の警告を押し切って、自分の思いで突き進んだわけである。エジプトの王も、ヨシヤとは戦うつもりもなく、返ってヨシヤにしつこく絡まれたために、やむなくこれを迎え撃ち、変装しいたたヨシヤを殺めてしまう。
理解しがたいエピソードであるが、伝道者の書には「あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか」(7:16)とあるように、ヨシヤは、「すぎて」しまったのかもしれない。つまりわき目を振らない余裕のない従い方のために自滅したと言うべきか。自分の正しさ以外には何も見えなくなってしまい、信仰的な自分、正しい自分を押し通すような従い方であっては、真に潤いと命ある生き方はできない。ほどほどの生き方という言い方は、生ぬるいようにも思われるが、「すぎる」ことのない、神の警告を聞き過ごすことのない、柔らかな心を持って日々の信仰の歩みを進めさせていただきたいものである。