献酌官長がヨセフを忘れてから二年が経った。しかし、人が忘れても、神がお忘れになることはない。神はご自身の計画を、すべてみこころのままに成し遂げられる。神はパロに、一つの夢を見させた(エジプトの王はパロと呼ぶが、本来パロは「大きな家」という意味であり、大邸宅に住む者を指していた)。
第一の夢は、醜いやせ細った七頭の雌牛が、つやつやした、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くすものである。第二の夢は、東風に焼けた、しなびた七つの穂が、肥えて豊かな七つの穂をのみこんでしまうものである。目が覚めたパロは、心落ち着かず、朝になって、エジプト中の呪法師と知恵のある者たちを呼び寄せた。もともと呪法師は、「鉄筆をふるう者」「刻む者」「書く者」の意味である。そこから「知識を持つ者」を表すようになった。もちろん知識とは、呪術、占星、魔術などであり、それらによって個人や国の将来や運命を告げるのである。しかし、彼らは自分たちの知識をもってしても、パロの夢を解き明かすことはできない。そこで、献酌官長がかつて夢を解き明かしたヨセフのことを思い出し、パロに伝えた。神が定めた時が来た。監獄からヨセフが呼び出されていく。
「夢を見る者」という蔑称は、直訳すれば「夢の主」である。ヨセフは今夢を自由に解き明かす者としてパロの前に立つ。そしてヨセフには弁えがあった。「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです」と、謙虚にこれが自分の学んだ知識や知恵によるものではなく、神が解き明かされた秘密であることを語り伝えている。そして神のなさろうとしていることに応答するように呼び掛けている。エジプトに七年間の豊作があり、その後七年間の飢饉が続く、だからこの、飢饉に備えて食物をたくわえるように進言した。常に時代を導くのは神である。その神に応答することが大切なのだ。ヨセフの解き明かしは、パロとすべての家臣を納得させた。パロは、即座にヨセフを大臣として抜擢していく。おそらく、ヨセフは、特任大臣として、いわゆる大臣の一人として抜擢されたのであろう。
ヨセフにつけられたエジプト名ツァフェナテ・パネアハは、「世の救い主」を意味する。パロはヨセフにエジプト全土を支配させた。オン(あるいヘリオポリス)はカイロの北方16キロ、現在のテル・ホスンとされ、歴史的に重要な町である。祭司の学校、医学の学校などがあり、エジプト文明の中心地である。後のモーセもまたこのヘリオポリスで教育を受け祭司になったと考えられている。ヨセフはこの町の祭司ポテペラの娘アセナテと結婚した。こうしてヨセフの名はエジプト中に知れ渡った。すでに彼は、30歳となっていた。
なおヨセフが大臣として仕えたパロの名は、よくわかっていない。多くの学者は、第15王朝のヒクソス時代の王であろうと推測している。実際、パロが、ヨセフの家族に定住を許可したゴシェンの地の近くに住んでいたことは、首都がデルタ地方にあったヒクソス朝の時代を暗示するものである。またセム人であるヨセフが重要な地位についたのも、王が純粋なエジプト人でなかったためと考えられている。ただしベニ・ハサン碑文に、セム人がエジプトでよく知られていることが示されているようにヨセフがそれ以前の時代にエジプトに下ったとする説もある。事実、羊を飼う者たちがエジプト人に忌み嫌われていたこと(46:34)、またヘブル人とは一緒に食事ができなかったこと(43:32)などの習慣は、パロが純粋なエジプト人であったことを示唆している。ただしヒクソスが征服民の習慣を踏襲したということも考えられるので、断言しうるわけではない。
ともあれ神のヨセフに対するお取り扱いをよく考えたい。神は私たちを困難という炉で鍛え、新しい責任へと召しだしてくださる。苦難にあってもあわてずに神を信頼し続けることが大切である。すぐに結論を出すのではなく、神の時が熟するまでに、神の最善に期待していく、そうしてこそ主の祝福にも与ることになる。