1.執筆事情
今日は、この手紙の背景から簡単に説明しましょう。この手紙を書いた使徒パウロが、エペソで伝道をしたのは53年頃です(使徒18:19-21)。パウロは、このエペソに約2年滞在し、活動しました(使徒19:1-20)。エペソはローマ神話に出てくるダイアナ神信仰が盛んな町でしたが、そこに初めてキリスト教会が設立されるのです(使徒19:21-20章)。
この手紙は、それから約10年後、62年頃、ローマで投獄されていたパウロが、その獄中から書き送ったものです(エペソ3:1)。この時、パウロの側には、逃亡奴隷として捕らえられていたオネシモがいました。また、コロサイ教会のリーダーテキコが、教会の問題を相談するために訪問していました。そこでパウロは、獄中で書いた三つの手紙、エペソ人への手紙、コロサイ人への手紙、そしてピレモンへの手紙をテキコに渡して届けるようにお願いするのです。そして今日までその手紙は、私たちも読めるようになっているというわけです。
2.三つの霊的祝福
この1章で、パウロはまず神を褒め称え、人には神からの、三つの霊的祝福があることを語ります。説明しましょう。それは、まずパウロは、エペソのクリスチャンにあなた方は神に選ばれた祝福の中にあると語ります。ここではある人を神は選んで、そうでない人もいるとは言っていません。信仰を持って、バプテスマ受けたけれども、本当に私は神に愛されているのかな、私の信仰は大丈夫かなと自信を持てないでいる人たちに、あなたがたの選びは確実です。大丈夫です、と言っているのです。そして選びの目的は「御前で聖く、傷のない者にしようと」いうものです。選ばれたあなたがたの心を、神に大事に育ててくださいます。実際神は、あなた方を信者ではなく、子としてくださっています(5節)。信仰を持つというのは神に愛され、大事にされる親子関係に入ることです。
第二に、御子イエスの贖いの祝福の中にあると言います(7-12節)。「贖い」は、失われていたものを買い戻すことを意味します。イエスは、罪の奴隷として失われていた私たちを、十字架の命の代価を支払って買い戻してくださったと言うのです。そしてさらに奥義を受け継ぐ(9,10節)者としてくださいました。「奥義」は、エペソ書を理解するキーワードです。それは、簡単に言えば、全人類がキリストにあって一つの平和と喜びあう壮大な計画を語っています。
最後に聖霊からの保証という祝福(13,14)があります。「保証」は、売買契約の保証で、手付金が支払われたことを意味しています。つまり、私たちの救いについては、神との取引が既に成立したことを言っているのです。つまり、キリスト者の未来は約束されているのです。もはや占いも、易も、厄除けも、祈願のお札も不要です。聖霊の保証があるからです。
3.目に見えない霊的祝福
これらすべての霊的祝福が、キリストにあってわたしたちのものとなっている、とパウロは言うのです。しかし私たちの弱い心は、神が言う祝福が本当かなと疑ってしまうものでしょう。だからこそ、その目に見えない祝福が確実であるという安心を得るために、お札やお守りを買う行動に出てしまうのです。けれども約束はあくまでも約束です。目に見えるものが何もなくても信頼することです。
そして、人の心の弱さを理解しているパウロは祈るのです(17節)。これら霊的な祝福の素晴らしさを、信仰者がはっきりとわかるように、と。聞かされていることが、自分事として深く体験できるように。そうすれば人は、モノに左右されない幸せを実感できるのです。
神のことばは真実です。神の祝福があるように、ではまた明日、このチャンネルでお会いしましょう。