コロサイ人への手紙4章

コロサイ人への手紙4章 祈りのススメとあいさつ
1.祈りなさい(4:1-6)
パウロは祈りなさい、と言います。キリスト者の生活から祈りが失われる。その結果は、自分の関心と欲望の中に埋没していく人生、ぼんやり惰性で生きていく人生です。上にあるものを求める歩みは、まさに神の助けにより進むもので、自分の努力ではどうにもならない、そう思えばこそ、祈りに心が向くものです。そして目を覚ましている、ということもあるのです。目が開かれていれば、自分のことだけではなく、他者のためにも祈るとなるでしょう。ことに宣教の努力をしている人々のために、とりなしの祈りが出てくるというのは、結局個人がいかに日々祈っているか、にかかってくるものなのです。
3節、パウロが「奥義」と言う時には、二重の意味があります。一つは、キリストにある十字架の救い。そしてもう一つは、この救いによってユダヤ人も非ユダヤ人もすべて、一つにされることです。人間が、天地創造のまことの神、自分たちを創造された神を認め、その神の権威のもとに遜って集まり、生きる、これなくして、全人類が一つにされることもありえないでしょう。この奥義がはっきり語られるように、祈ってください、というわけです。やはり、祈りの最終的なゴールは、全人類の上に神の平和が実現することでしょう。本当に、教会の祈祷会で祈りをしようというのなら、個人的、物欲的なご利益的な願いを祈るために集まることから卒業して、悲しみも、痛みも、叫びもない、神の平和が世界に実現するように、と祈るために集まることです。
そして、いつでも、目を覚まして、機会を活かして、知恵をもって行動することが勧められます。確かに、聡明であることは一種の魅力でしょう。口やかましく、折伏するかのように伝道するよりも、人のこころにあるつっかえに気づいて、知恵あることばを聖書から語る、その方がよっぽど宣教になります。
2.挨拶(4:7-18)
最後に、パウロは、自分の仲間からの挨拶を述べます(7-11節)。ティキコは、ローマの出身。エルサレムにある貧しいキリスト者のために贈り物を届けに行き(使徒20:4)エペソ人への手紙を運びました(エペソ6:21)。オネシモは、ピレモンへの手紙に出てくる逃亡奴隷ですが、ここではもうすでに悔い改めてキリスト者となったのでしょう、忠実な愛する兄弟と呼ばれています。アリスタルコは、テサロニケ出身のマケドニヤ人(使徒20:4)。アルテミスの神殿で暴動が起こった時に、暴徒に捕えられ(使徒19:29)、その後、パウロがローマに投獄された時には(使徒27:2)、パウロもとに駆け付け、パウロと一緒にいた人、パウロにとってはよき同志でした。バルナバのいとこマルコは、ペテロの通訳者です。ペテロはマルコをわたしの子と呼びました(1ペテロ5:13)パウロは、初めこのマルコを評価しませんでしたが(使徒13:13)、ここではその評価を変えたのでしょう(ピレモン24、2テモテ4:11)。エパフラスは、コロサイ教会の牧師(コロサイ1:7)。ヒエラポリス、ラオデキア、コロサイの監督者でした。ルカは、医者で、最後までパウロと共にいた人です(2テモテ4:11)。デマスは、パウロの同労者(ピレモンの手紙24)でしたが、ここではただのデマス(コロサイ4:14)、やがてパウロを捨て去る人へと変節していきます(2テモテ4:10)。ヌンパとその家にある教会。当時は、教会堂はなく、家庭が教会であったことがわかります。
パウロは挨拶を終え、ラオデキアからコロサイに回ってくる手紙があるので、それを読んでほしいと語っています(16節)。その手紙は聖書には収録されておらず、どんな手紙であったのかもわかりません。パウロは、アルキポに対し激励を与えています。「主にあって受けた務めを、注意してよく果たすように」何の務めかわかりませんが、私たちに対する激励のようにも聞こえます。大切なのは、主に務めを委ねられていること、ぼーっと人生を過ごすようではいけません。目を覚まして、はっきりと目標を見据えて歩ませていただきたいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。

クイズコーナーです。最初に昨日のクイズですが、「パウロが書いた手紙、エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモンの四つを合わせて何と呼ぶでしょうか?」答えは、獄中書簡でした。聖書にはない用語ですが、獄中で書かれた共通性があるので一般に獄中書簡とまとめられています。では、今日の聖書クイズを一つ、ローマ人への手紙、1、2コリント人への手紙、ガラテヤ人への手紙の四つを合わせて、一般に何と呼ばれているでしょうか。答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。