テトスへの手紙3章 実を結ぶ者となる
1.主にあって変えられる(3:1-7)
パウロは言いますね。キリストの権威を認めて、従い、よい業に進むように、と。いやいやながらではなく、進んでよい業をしなさい、と。つまり、信じていることを実際の行動で表しなさい、というわけです。イエスが十字架にかかったのは、私たちをすべての不法から贖い出し、よいわざに熱心な民を形作るためであった、と言います。
ですからパウロは、キリストにある今とそうでなかった時の昔の状態を、鮮明に区別して、言います。3節「以前は、愚かで、不従順で、迷っていた者であり、いろいろな欲望と快楽の奴隷になり、悪意とねたみのうちに生活し、人から憎まれ、互いに憎み合う者でした。しかし、神は、私たちを救ってくださいました、」と。革命的なしかしです。
往々にして、正しい人生を歩みたいと願ってキリスト教徒になる人々の中には、他人と比べて、自分がどれほどましな人間であるか、と考える方々もいます。しかしそれは違いますね。昔はひどかった。本当に、家族に対する思いやりも、同僚に対する心遣いもなっていなかった。なんとも恥ずかしい限りだ。それなのに、こんな人間の屑のような私を救いに入れて下さるなんて、という、自分の昔と今の比較が大事なのです。他人と自分の比較ではありません。
また大切なのポイントは5節、「聖霊による再生と刷新の洗い」ということばです。人間自分がいかに情けない人間であると気付いても、では、キリストの模範に倣って、忍耐強い人、愛の人、正義の人に変われるかというと、そうではないですね。どうでしょう。皆さんの中に、私は自分を律して、正しい生き方が出来るという人はいるでしょうか。恐らく、そう覚悟して立派に振舞っているだけの自分、体裁と内面は異なり、偽善的になっている自分に、遅かれ早かれ気づくということがあるのではないでしょうか。そこでパウロは、聖霊、つまり神に助け手頂きなさい。人の品格が変えられるのは神の業なのだ、神のあわれみと恵みを求めよ、というのです。神は喜んで、また豊かに助けを与えてくださるだろう、と言います。
2.終わりに(3:8-15)
10節「分派」は、異端とも訳せることばです。彼らは、愚かな議論、まあ小難しく、机上の空論のような聖書の議論にあけくれていました。パウロはテトスに、有益な議論とそうでないものがあることを明確にします。そういうやからは、1、2度戒めて除名しなさい、と言います。厳しいと思うところですが、多くの人間関係を見てきた人であるならわかるでしょう。話が通じない人はいるものです。そういう人は、切り離して、社会に学ばせることも必要です。神の手に委ねることです。12節以降は、テトスに対して個人的な指示となっています。一つは、ニコポリスにいるパウロの下に来るように、と。そして入れ替わりに、アルテマスかティキコをそちらに送ることにしていると計画を述べます。ティキコは、ローマの獄中でもパウロに仕え、パウロの使者として、エペソやコロサイの教会に手紙を持ち運んだ人です(エペソ6:21-22、コロサイ4:7-8、2テモテ4:12)。また、クレテに滞在中のゼナスとアポロの世話をお願いしています。律法学者ゼナスは、ユダヤの律法学者ではなくローマの法律家のようですね。アポロと共に伝道旅行をしていたようです。先のコリント人への手紙の中では、パウロ派、アポロ派に分裂する問題について、色々と書かれていましたが、晩年には、パウロとアポロは良好な関係にあったことがわかります。14節実を結ばない者にならないように、と勧めます。やはり、よい業の実、敬虔の実を結ぶ、キリスト教会が世に存在する意義というのは、そういうところにあるのではないでしょうか。世の中、慈善活動をする団体はたくさんあります。教会も同じようなことをしています。けれども、それらの団体と違う、一つの特色は、神の助けにあって敬虔の実を結ぶということが起こることなのです。では今日も良い一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズですが、「中央山地の東側に並ぶヨルダン渓谷は、北から、ガリラヤ湖、ヨルダン川、死海と三つに区分されますが、その標高差はどのくらいでしょうか?答えは、②、ガリラヤ湖と死海の標高差は、186メートルで、ガリラヤ湖の地点で地中海海面よりも209m低く、死海で海面下395mになります。死海は地表で最も深いところです。では、今日の聖書クイズを一つ。東部の台地と呼ばれる地点に含まれない地域名はどれでしょうか?①アラム、②エドム、③モアブ、④ガザ、答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。