ピリピ人への手紙4章 質の高いクリスチャンライフを目指す
1.二人の婦人の一致(4:1-3)
ピリピの教会は、パウロという伝道者に、非常に細やかな心遣いをした教会でしたが、教会の内部には衝突もあったようです。いささか矛盾した側面を持つ教会であったのです。しかしそれが現実というものでしょう。むしろ、そのような現実から、神の恵みによって愛に生きる教会、聖さ、義しさを志す教会へと変えられ、しみやしわや傷のない群れになっていくことが大切なのです。そのような意味で、それぞれに信仰の戦いがあるのでしょう。あの人がどうである、こうである、といった他人を気にする思いから解放されて自分自身のありように関心が向かうならば、私たち自身の信仰は、もっと進むことでしょう。
ともあれ、パウロは、具体的に二人の婦人を名指しして、主にあって一致してくださいと勧めています。お互いに顔を向き合わせて一致点を見出すことは難しいとしても、主を恐れ、主に従うとなれば、お互いに一致できるでしょう、と。結局、どれだけ神をリアルに感じて生きているかが問われるところですね。神に対する信仰のないところにこのような一致は起こりえません。
3節、真の協力者よ、とパウロは呼びかけます。誰のことを指しているのか、よくわかっていません。しかし、ピリピにおいてパウロを常に陰ながら支えた人物であったのでしょう。パウロは、その人に、二人の婦人が一致できるように、協力してほしいと声をかけるのです。やはり何事も協力というべきでしょう。
2.質の高い人生を生きる(4:4-23)
さて4節からは、クリスチャンに対する全般的な勧めとなっています。主にあって喜びなさい。やはり、神を喜ぶ、この御霊の実が私たちの心の内に成長する、これが最も大事。3:1で語られたことの繰り返しです。そして人に対しては、寛容、親切、善意の実、これが育ってくる、これがキリスト者の人生です(5節)。また自分に対しては誠実、柔和、自制、言い換えれば、思い煩わず、感謝を持って、神と語り合いながら人生を悠々と生きていく、それがキリスト者です。キリスト者の人生は、お金の安心、家の安心、パートナーの安心に生きるものではなく、実に、神の平安に生きるものなのです。
そこで、パウロは、さらに質の良いキリスト者の人生を生きるために「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、全て評判のよいこと、また称賛に値することに心を留めよ」と語ります。ただ神を信じている、信心深いというのではなく、質の高い人生を生きる、しかも、見かけではなく内面において、「ないのはお金だけ、あとは全部そろっている」と輝く目で天上にあるものを見つめているような人生を生きる、これはキリスト者ならではのことですね。パウロは言います。11節「私はどんな境遇にあっても満足することを学びました」
14節「それにしても」とパウロは、ピリピの教会の人たちに、自分の具体的な必要に応えてくれたことへの感謝を述べています。ただ一種の誤解があったのでしょう。パウロは、なんだかんだ言っても、お金が欲しかったのではないか、と。しかし、窮乏の時に、一番嬉しいことは、お金が入ることもそうでしょうが、実際には、そのような状況に気づいて支えてくれる人の優しい心遣いです。質の高い人生を生きると同時に、質の高い教会を建て上げてまいりたいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。
クイズコーナーです。最初に昨日のクイズですが、「パウロはベニヤミン族の出身でしたが、次の中で、ベニヤミン族の出身ではない人は誰でしょうか。」答えは④サムソンでした。エフデ(士師3:15)、サウル(1サムエル9:1)、エステル(エステル2:5)はベニヤミン族。ちなみにサムソンはダン部族の出身です。(士師13:2)では、今日の聖書クイズを一つ。パウロの手紙を受けたピリピの教会は、その後どうなったと思われますか?①衝突を解決できずに解散した、②迫害の中で消滅した。③さらに大きく発展した。答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。