ピレモンへの手紙
1.背景
パウロがローマで囚人となっていた時のこと、牢獄でもまた一つの出会いがありました。逃亡奴隷オネシモです。オネシモは、主人から何かを盗み、ローマに逃亡し、都会の雑踏の中に紛れ込もうとしていたところを見つけられ捕まえられたのです。彼は、図らずも、パウロと一緒に牢獄で生活するようになり、福音宣教に熱心なパウロによって、キリスト教信仰を持ったのでした。しかも、パウロは、彼が自分の友人ピレモンの奴隷であることを知り、元の主人のもとへ送り返されることになったオネシモについて、寛大な措置を取るように、この手紙を書き送るのです。
というのも、当時、逃亡奴隷が事務的に戻されることはまずなく、それは買い戻しを必要とし、さらに、ローマの法律は逃亡奴隷の処刑を認めていました。ですから主人の下に送り変えられるということは、しばしば残虐な結果になることもあったのです。
2.兄弟として受け入れる(2:1-16)
パウロは、まず挨拶をしていますが、その中で、ピレモンが、イエス・キリストと神の民の双方に対して愛と信仰を抱いている人であると評価しています。つまり、ピレモンは、話せばわかる、そのような感覚のある人のようでしたね。そこでパウロは、ピレモンのその心に訴え、オネシモを穏便に受け止めるように、と筆を進めていくのですが、まず、ピレモンの人物評価から始めていますね。しかも面白い評価です。ピレモンは、かつての奴隷ではない、キリストの救いを受け入れ、新しい心を持った、パウロにもピレモンにも役立つ者である、と。パウロは、ピレモンがオネシモを、愛情をもって再び受け入れることを期待しているのですね。ですから、パウロは、オネシモが、奴隷としてローマへ逃れたものの、今や兄弟として送り返されることを強調するのです。彼はかつて主人を裏切った不従順な奴隷であったかもしれません。そして今も奴隷であることに変わりはないのですが、今や、彼はキリスト者となって、愛されるべき主にある兄弟となったのだ、というのです。しかし、奴隷制度が当たり前の社会において、ピレモンがこれまでの発想を変えて、オネシモを兄弟として受け入れるなど、そんなに簡単ではなかったことでしょう。実際、逃亡奴隷のオネシモに安易な態度を取れば、他の奴隷たちは「クリスチャンになる」ことで全ては穏便に解決されると安易に考えたかもしれません。他方、彼が他の奴隷を持つ主人と同じように、手厳しく残忍な態度を取れば、皆は、キリスト者とは言えども、その社会的態度は同じ。自分の身内にはよくするが、奴隷は差別し、人をモノとして扱う、その態度は変わらない。キリスト者になる意義は何かと、信仰の評判に影響を及ぼすことになったでしょう。
3.パウロの解決
パウロはそのジレンマを解決すべく、一つの提案をしています。それは、間に入ったパウロ自身が、買い戻しのための代価を支払うことでした(18節)。実に、パウロは、キリストの弟子、キリストのしもべとしての生き方を身をもって示していた、と言えますね。本来ならば、神の怒りを受けるべき罪人の私たちが、キリストが身代わりになってくださったことで、私たちは、神と和解することができたという、十字架愛の実践に、パウロは立っていたのです。
しかしながら、なぜパウロは、奴隷制度そのものを非難し、ピレモンにそういうものは非人間的な制度だから、オネシモを平等な人間として受け入れるようにと言わなかったのでしょうか?これは、奴隷制そのものを批判する理想的な機会だったようにも思われます。しかし、パウロは知っていたのでしょう。人間というのは、心が根本的に救われていない限り、どれほど社会制度を変えるように働きかけても、無駄であると。変化はまず人の心の内側から起きなくてはならなかったのです。これはどうなんだろう、と思う、種々の社会制度が、改善、廃止されるためには、個々人の考え方がまず変わらなくてはと考えたのでしょうね。では、今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズですが、「東部の台地と呼ばれる地点に含まれない地域名はどれでしょうか?」答えはガザです。ガザは地中海沿岸地域にある町の名前ですね。では、今日の聖書クイズを一つ。死海は聖書では「塩の海」または何と呼ばれているでしょうか?①エドムの海、②アラバの海、③ヨルダンの海、答えは、また明日。では今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
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