使徒の働き28章

使徒の働き28章 ローマでの宣教 1.マルタ島での出来事(28:1-10)
パウロの一行は、嵐に流されマルタ島に漂着しました。マルタは、フェニキア語で避難所を意味します。まさに彼らにとっては避難所でした。島の人々は、彼らにとても親切にしてくれたのです。時期的には冬に入っていたのですから、2週間も嵐にもまれ、疲れ切っていた者たちにとっては、心沁みる暖かさであったことでしょう。しかし、そこで一つの事件が生じるのです。3節、薪からまむしが這い出し、パウロの手に取りつくのです。それを見た島の人々は、パウロを人殺しと考えました。復讐の女神が、嵐から逃れたパウロに最後のとどめを刺そうとしている、と言うわけです。しかし、何の害も受けず、何食わぬ顔をしているパウロに、彼らは考えを変えて、神であると言い出すのです。また、島の長官プブリウスを始め、島の病人を癒すことで、パウロの一行は尊敬を得て、3ヶ月滞在することになりました。なお興味深いことは、これらの奇跡物語について、ルカは、癒しを意味するギリシア語のイアオマイ(8節)と、医療的な処置による癒しを意味するセラピューオーを使い分けていることです。そして10節、「私たち」と語り、そこに医者のルカもいたことが示唆されています。つまり、神は、福音とご自身の力を証するために、超自然的な癒しに加え医療的な処置も用いられたということなのでしょう。
2.いよいよローマへ(28:11-31)
さて、パウロの一行は、マルタ島を後にしました。乗り込んだ船の船首にはディオスクロイの飾りがついていたと言います。つまりギリシア神話、ゼウスの双子の兄弟カストルとポルクスの像でした。当時は、航海の守護神とされたものです。ルカは軽くギリシアの神にも守られて、とジョークを飛ばしたのかもしれません。翌日北北東150キロにあるシチリア島のシラクサに到着、そこから130キロ北航し、いよいよイタリア本土の南西端、メッシナ海峡に臨む海港レギオンに到着しました。そして、さらに翌日北320キロのポテオリに到着、ここからはもう陸路で、ローマまで180キロ、約1週間の道のりです。こうしてついに彼らは、ローマにやってくるのです。
17節、パウロは三日の後、ユダヤ人の主だった人たちを呼び集め、福音を語りました。朝から晩まで語り続け、神の国をあかしし、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて説得しようとした、とあります。キリスト教信仰の中心は、イエス・キリストです。それは「鰯の頭も信心から」という中身のないものではありません。ですから、「語られたこと」(24節)に注意深く耳を傾ける者と、そうではない者が出てくるのです。そしてイエスの種蒔きのたとえが教えるように、反応も様々です。パウロは、信じようとしないユダヤ人の現実に、福音が耳を傾ける異邦人に向けられることを宣言します。神の恵みの福音はユダヤ人だけのものではなく、耳を傾ける全ての人のためのものだからです。
こうして30節、パウロは「呼び集めて」福音を語るのみならず「尋ねてくる人たちに」福音を語りました。というのも、今やパウロに町の広場や会堂に出て行って、福音を語る自由はありませんでした。しかし、神がパウロのもとに福音を語るべき人々を送ってくださったのです。それは多くの聴衆ではなかったことでしょう。しかし神がパウロの働きを必要とする人々でした。実際そこには、ピレモンへの手紙を書くきっかけとなったオネシモも含まれていました。大切なのは、神が引き合わせてくださる人としっかり向かい合うことでしょう。ルカは、こうしてパウロが、自由に、存分に神の国とイエスについて語ったことを証しするのです。そしてルカもまた、神が引き合わせてくださったテオフィロに、言葉を尽くして証しするのです。神が引き合わせてくださった人にしっかり向かい合う、これが宣教なのです。では今日もよき一日となりますように祈ります。

クイズコーナーです。最初に昨日のクイズですが、「地中海は、旧約聖書では、なんと呼ばれているでしょうか?」答えは①西の海(申11:24)でした。当時は、死海を東の海、地中海を西の海と呼んだのです。では、今日の聖書クイズを一つ。パウロがローマ本土に到着し、カプアから北上した道は、なんと呼ばれているでしょうか?①アッピア街道、②オスティア街道、③ドミチアナ街道、答えはまた明日!よき一日となりますように祈ります。