ヨハネの黙示録22章 神の御国に入る
1.神の御国の恵み(22:1-11)
ヨハネの黙示録を読み終わりました。また新約聖書を全部完読ですね。明日からは、旧約聖書、約3倍ほど分量が多いですが、チャレンジを続けましょうね。
では、今日の箇所ですが、今日は、ヨハネの黙示録のフィナーレ、人類の終着点ともなる、天の御国について語っている部分です。ヨハネは、まだ人類が経験したことのない世界に足を踏み入れ、色々とレポートしてくれていますね。そこには、「水晶のように輝く、いのちの水の川」(1節)があった、と。きらきら輝いて、透き通るような水が流れている。癒しの光景ですね。実際そこにはいのちの木があり、実をならせていたと言います。ですからそこには、矛盾したもの、「のろい」(3節)も「夜」(5節)もない。今の私たちの世界とは全くの別世界だ、と言いたいようです。そしてヨハネは言うのです。「これらのことばは、信ずべきものであり、信頼できます」(6節)、つまり「ホントだよ!」と言うのでしょう。
先の章でも語ったように、この御国との関係はすべてイエス・キリストを通すことによるのです。最後なので、もう少しイエスのことを語っておきましょう。なぜイエスを通して、私たちは神の御国に行くことができるのか。それは、イエスの十字架にある罪の赦しがあるからです。本来、私たち罪人に与えられる報いは「火と硫黄の燃える池」あるいは「真っ暗な闇」と呼ばれるところでしょう。けれども、イエスが私たちの身代わりとなって、私たちの受けるべき神の罰を受けてくださった、というのが、イエスの十字架の死の意味であったわけです。私たちは、死をもたらす神の裁きの前で、自分を救うことはできません。ですから、イエスの十字架にある罪の赦しは、恵みであり、福音なのです。イエスの十字架の御業を受け入れる者は、皆救われるし、皆、この素晴らしいいのちと癒しに満ちた、神の御国に招かれるのです。
2.わたしはすぐに来る(22:12-21)
ヨハネは、この素晴らしい恵みを知らせてくれた、御使いの足元にひれ伏し、礼拝しようとしました。すると御使いは、礼拝されるべきはただ神のみである、どんなものも礼拝してはいけない、と言うのです。そして、この書のことばを公にし、時が近いからこそ、この素晴らしい神の恵みが近づいていることを明らかにして生きなさい、と言います。11節「不正を行う者には、ますます不正を行わせ、汚れた者は、ますます汚れた者とならせなさい。正しい者には、ますます正しいことを行わせ、聖なる者はますます聖なる者とならせなさい」大切なことばですね。このように何が正しいか、将来何が人類に待ち受けているか、そのことが明らかになった以上、人は、人生の方向性を選択しなくてはならない、ということです。
キリスト教の大きな特徴の一つは、死後のことは死ぬ前に予め自分で決めるということです。日本人の多くは、死後の備えのために、せいぜい、自分の墓地や墓石を購入する程度のことしか考えないのではないでしょうか。人生死んだらそれでおしまいというかのように。しかし、聖書は、人間にとって死が確実なように、死後のいのちも確実である、と言います。そして、その死後のいのちは、キリストによって手にするものであり、キリストと共に生きるのなら、それにふさわしい生き方がある、と言うのです。目に見えない価値を大事にして生きるのなら、やはり、目に見えない正しさ、聖さ、愛を大事にして生きるべきでしょう。
12節「見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る」これはイエス・キリストのことばです。14節「自分の衣を洗う者たちは幸いである」要するに、神の前に悔い改め、イエスの十字架の死を自分のものとして受け入れるということでしょう。17節「渇く者は来なさい。いのちの水が欲しい者は、ただで受けなさい」イエスは、罪の赦しは、イエスご自身のいのちの犠牲を支払った高価なものであるけれども、これをただで、無償で皆さんにお分かちしよう、と言います。そして、イエスは、十字架にある罪の赦しを受けた一人一人を、天の御国の祝宴に与らせるために、迎えに来ることを約束するのです。信仰を持って歩むというのは、このような終末的な希望に立ち、そこから今の人生をしっかり、神の恵みに与ったことを感謝しつつ生きることなのですね。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「聖書が語る、地獄絵図、それは苦しいところをイメージさせるというので「火と硫黄の燃える池」と語られますが、他にどんな象徴表現が用いられていますか?」答えは「真っ暗な闇」(ユダの手紙13:13)です。そこは光と対照される場所です。では、今日の聖書クイズを一つ。天地創造の際に、いのちの木と共に園の中央に作られていながら、終末の御国の光景からは消え去ってしまった木は何でしょうか?また明日、今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
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