人生100倍の祝福😊 士師記21章 めいめい自分の目に良いと見えることを行っていた

21章 士師記の結論

1.神不在の問題解決

士師記も最後の章となりました。イスラエルの中での悪、そして内乱に近き戦い、結果、戦いが終わってみると、イスラエルの12部族からベニヤミン部族が欠ける事態が生じてしまっていたのです。町を焼き討ちにしたことで、ベニヤミンの女たちが根絶やしにされてしまいました。そこでイスラエルの者たちはベテルに上り、祭壇を築き、ささげ物を献げて、ベニヤミン部族をどのように回復すべきかを協議するのです。一度誓った誓いを変えることはできませんでした。そこでより重い誓いを持ち出すことによって彼らはこのジレンマから脱出しようとするのです。つまり、初め彼らは自分たちの娘をベニヤミン族に嫁がせないことを誓いましたが(1節)、既に、ベニヤミン族との戦いに参加しない部族は必ず殺されなければならないという誓いを立てていました(5節)。そこで調べてみると、ヤベシュ・ギルアデの人々が参加していませんでした。彼らはラケルの孫マナセの子孫で、ラケルの子ベニヤミン族とは血縁関係にあります。そこでベニヤミン族を絶やさないために、リモンの岩に隠れ住むベニヤミン族の男たちに、ヤベシュ・ギルアデとシロの女たちを略奪して、自分たちの子孫を残すことが許されるのです。こうして後に、アモン人ナハシュが攻めてきた時に、ヤベシュ・ギルアデの人々は、ベニヤミン族のサウルに助けを求め(1サムエル11:1)、またサウルと彼の子どもたちの死体がベテ・シャンの城壁にさらされた時に、危険を冒してそれを収容する、特別な深い関係が築かれるのです。

2.当時の宗教事情

さて12節、シロの位置については、19節で注釈が加えられています。つまり、士師記が執筆された時(サムエルの時代の後、ダビデかソロモンの時代?)、シロの位置は読者にはよくわからなかった、ということです。しかし、シロは、ヨシュアの時代から会合の場として用いられ、会見の幕屋が立てられ、契約の箱が置かれ、ここで相続地が分割されています(ヨシュア18-21章)。つまりそこは軍事的、宗教的な中心地でした。それは後のサムエルの時代も同じでした。となれば、19節、ここで毎年行われる祭りというのは、一つは過越しの祭りの可能性があります。また20節、「ぶどう畑」で待ち伏せしてとあることからすれば、ぶどうの収穫期に行われる仮庵の祭りであった可能性もありますが、問題は、イスラエルにとっては本来大切な神の業を覚えるべき重要な祭典であるはずの場で、略奪結婚が許されてもよいと判断されるほどに、それは、世俗化した「お祭り」になっていたということです。もはや、神を神として恐れることなく、堕ちるところまで堕ちて、祭りの精神も忘れ去られ「それは勝利を叫ぶ声ではなく、敗北を嘆く声でもない。私の聞くのは、歌を歌う声である。」(出エジプト32:18)と呼ぶような状況があった、ということでしょう。

3.士師記の結論

彼らが宗教的であろうとしたことは確かですが、それはまことに神を恐れ、神に聞き従う心を持つ熱心さに基づくものではありませんでした。まさに「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」だけのことです。神の存在らしきものを認めながらも、神を恐れることなく、神を自分の下に置き、自分の思うところに従って生きた時代です。それは今日的状況に極めて近いものがある、というべきでしょう。

なお、この時代、「イスラエルには王がなく」つまり正義を貫く強力なリーダーシップにも欠けていました。国家の混乱を収拾するために、王制が強く望まれた背景が説明されているのかもしれません。こうしていよいよ後に続くサムエル記では、イスラエルが王政国家に踏み出し、いかに神と共に歩んだかが語られていくことになります。では今日もよき一日となるように祈ります。

 

<クイズコーナー>

最初に、昨日のクイズです。ミツパは「見張る場所」「物見やぐら

」の意味がありますが、そもそも、どんなエピソードによってつけられた名でしょうか?

答えは、創世記31:39に出てくる、ヤコブとラバンの会話に基づく。「われわれが互いに目の届かないところにいるとき、主が私とあなたがたの間の見張りをされるように」とラバンが語ったことによるものです。では、今日の聖書クイズを一つ、イスラエルでぶどうが最もよく収穫された地はどこであったでしょうか?答えはまた明日、では、今日もよき一日となるように祈ります。

 

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