ゼパニヤ書2章

おはようございます。主のさばきの前に素直な心を持つことがいかに重要か、私たちは理解すべきでしょう。神は愛であり、横暴な権力者ではないのです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.主のさばきを行う

ゼパニヤは「恥知らずの国民よ」(1節)と呼びかけます。神の民が、異教徒のように見なされているのです。確かに、まことの神を知れる国民が、そのようではない、まるで神を知らない異教徒と同じ状況に、ゼパニヤは、神の民にも異邦人と同様、神の裁きが確実に迫っていることを伝えるのです。ですから主の怒りの日が襲わないうちに、悔い改めるようにと勧められます(2節)。そこでまずなすべきは、主を求めることです。正しくあるよりも、遜るよりも、まず主に心を向けることです。そして悔い改めに相応しい実を結ぶこと、つまり正しくあることでしょう。3節は、そのように神に心を向ける少数の者へ向けて語られています。「主のさばきを行う柔和な者よ」はて、第三版では「主の定めを行うこの国のすべてのへりくだる者よ」でした。一瞬意味不明、わかりにくい改訳になってしまったように思います。しかし、「彼の定め」とも「彼のさばき」とも訳されるヘブル語のミシュパトーは、神の律法というよりも、決定のことを指しています。つまり、将来起こる、神のさばきは避けられないのでしょう。そこで、そのさばきを神のものとして受け入れることのできる遜った者たちに、まず、主を尋ね求め、正しさを求め、そして、神の裁きの時を、しばし耐えるべきことを勧めているのです。疫病、地震、と様々な災いに遭遇する中で、ああこれは神のさばきだ、と恐れ心萎えてしまうのではなく、自業自得かと腐るのでもなく、素直に神に心を開き、教えられることです(詩篇119:7)。神の裁きの中で、傷だらけになりながら、将来に何の望みも抱くことも出来ない状況で生き延びてしまったとしても、いのちある限り、神の哀れみは尽きません。

2.さばかれる国々

4節以降は、神のさばきが及ぶ国々のリストです。まず海辺に住むペリシテ(4-7節)、モアブとアンモン(8-11節)、クシュ(12節)、そしてアッシリヤ(13-15節)です。しかし、神のメッセージが彼らに伝えられるのは、ゼパニヤが初めてではありません。すでに、アモス(1-2章)、イザヤ(14-20章)そしてエレミヤ(46-49章)も同じように彼らに対するさばきを語ってきました。預言書を繰り返し読むと、神が一度の警告ですべてを終わらせたわけではないことはよく理解されます。また、彼らに対する取扱いは、神の民に対する取扱いと同様です。神がユダ南王国を選ばれたのは、彼らが神を証する国民となるためであって、えこひいきするためではありませんでした。神は正しいことをなさるお方です。

そのような意味では、現代の私たちに対する神のさばきも同じでしょう。神は、繰り返し警告を与えてこられました。ある日突如、不本意に正義の鉄拳を振るうことはないのです。そして神のみこころはすべて聖書に明らかにされています。聖書を読まずして、時代の進むべき方向性もわからないことでしょう。まず神に聞く、その習慣を確立しましょう。