ハガイ2章 神殿再建の完成
おはようございます。ハガイを通して、二度、三度と神のことばが繰り返されます。その主の熱意こそ、彼らの未来を築き上げるものでした。主は同じ熱意を私たちに注いでおられます。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.二度目の神のことば
ハガイに二度目の神の言葉が与えられました。約1か月後のことです。というのは、第七の月の第一日はラッパの祭、第十日は贖罪の日、第十五日から一週間は仮庵の祭で、イスラエルはお祭りとなり、工事は中断されていたのです。そこで、気を緩めず再建事業を継続するように「今強くあれ、仕事に取り掛かれ。(4節)」と、神のことばが繰り返されるのです。
また、その再建事業には、既に破壊された昔の神殿を知っている者もいました。どうやら新しい神殿には、ソロモン時代の金の内装や彫刻模様を施す余裕はなかったのでしょう(1列王6:21-22)。彼らの目には、なんともさえない建物が出来上がるように映っていたのでしょう(3節)。
しかし、神殿の機能は、神の臨在を象徴することです。主は、国々を揺り動かし、この神殿に国々の宝物をもたらし、主の栄光が満ちる、と約束します。確かに偉大な真理は、この事実です。教会においても、中身が重要なのです。そこに、人々が立ち寄った時に、神の臨在を感じられるかどうか、神が証される場であるかどうかが問題なのです。
さらに神は約束されます「これから後の栄光は、先のものよりもまさろう」と。事実、この第二神殿は、その後ヘロデ王によって改修増築され、世界で造られた古代神殿の中では、二番目に大きなものとなり、過去の栄光を凌ぐものとなりました。見かけはともあれ、彼らは偉大な事業に取り掛かっていました。今日の教会開拓も皆同じです。小さく始め、大きく育てていく。初めの一歩は、なんともおぼつかない、お遊びのようなものかもしれません。しかし、共に力を合わせて信仰により進みゆくことで、主の栄光を豊かに証する働きになるのです。自己充足的な人生を超えて、教会開拓にこそ、私たちの思いを馳せたいものです。
2.三度目の神のことば
10節からは、さらに2か月後、ハガイに与えられた第三の神のことばとなります。第九の月(現在の11~12月)、それは、パレスチナの照り付ける夏の太陽によって堅くなった大地に、先の雨が降り、種まきと耕作が終わり、その収穫に期待が寄せられる時期でした。しかし、具体的な実を結ばせるのは神です。主は二つの質問をしています。神聖ないけにえを着物に入れて運んだら着物は聖なるものとなるか。答えは「ならない」です。汚れを受けた人が何かに触れたらそれは汚れる。答えは「汚れる」です。言いたいことは、神の聖さは伝わりにくいが、汚れは容易に伝わるものだ、ということでしょう。つまり、神は人間がそのようなものであることを理解しながらも、人間に神の祝福を注ぎ続けることを約束されるのです。だからよく考えよ、と言います。この主の熱意にこそ私たちの未来があるのです。
最後の20節からのメッセージは、指導者のゼルバベル個人に向けた、終末論的なメシヤ預言です。ハガイ書は、こうして民に希望を約束して閉じるのです。