ホセア書14章

14章 悔い改めは、簡単なことです

おはようございます。神を信じることに難しさはありません。神に対する背きを認め、キリストにある罪の赦しを受け入れ、神の祝福を信頼し続けることです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.唇の果実

ホセア書は、1-3章において、ホセアの家庭生活を通して、神のイスラエルに対する愛が象徴的に語られていました。この14章では、神の愛が直接的に告白されています。「イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ。~わたしは彼らの背信を癒し、喜びをもって彼らを愛する」(1、4節)。4-13章に描かれたイスラエルの神に対する反逆の状況を理解すればするほど、どうしてこんなことが言えるのか、と思わされるところです。

しかも、神は実に優しく語るのです。つまりどのようにして神に立ち返るべきか、悔い改めのことばを用意し、次のステップを示しています(2、3節)。「私たちはくちびるの果実をささげます」(2節)は、ギリシア語七十人訳を採用した訳で、「果実」とされた部分はヘブル語の原文では「雄牛」です。つまり直訳は、「雄牛、(つまり)私たちのくちびるをささげます」です。当時の礼拝が、雄牛(いけにえ)をささげる礼拝であったことに基づいて、受け入れられるのは、雄牛ではなく、くちびる、つまりは、「不義の赦し」を求める悔い改めと、神への従順という「良きもの」だ、ということでしょう(申命6:18)。それはもはや人や、モノ(偶像)を頼りにしないこと、そして、神のあわれみのみ求める、という具体的な告白につながっていくのです(3節)。

2.神の祝福

また神は実にさわやかに向かい合われます(5節)。悔い改めて来た者の過去は、もはや問わないのです。ゆりは、純潔の象徴。オリーブは勝利と祝福のしるしです。レバノンは、不動の象徴、つまりは、神の祝福がゆるがないことを意味します。神は、人が他人やモノに求めていたものを、自らが満たすことを約束されます。しかも、人が本当に悔い改め、素行がよくなれば、そうするというのではありません。神の愛を信頼し、それを受けることによって、人は新しく作り変えられる、いや神はそのような実を結ぶように世話をしよう、と語り掛けます(8節)。

そこで聞くべきは「知恵ある者はだれか。悟りある者はだれか」(9節)という呼びかけでしょう。「主の道は平らなのだ(9節)」とは、主に従う道は歩きやすいということでしょう。確かに考えてみると、悔い改めの第一歩からすべきことを神は丁寧に教えてくださっているのです。信仰を持つこと、あるいは神の祝福を受けることについて、何も難しいことは語っておられません。実に、簡単な手続きを求めておられるだけです。今日の私たちに対しては、イエスの十字架を自らの罪の赦しとして受け入れ、聖霊の助けによる新しい人生を信頼する、それのみです。信仰を難しく考えずに、素直に、信仰の第一歩を踏み出したいところでしょう。しかしそうできるためにも、まず自身の背きの現実をよく理解する必要があるのです(9節)。知恵ある素直な心をもって、主の愛に生きる者でありましょう。