エステル記1章 ワシュテイが拒否したために
<要約>
おはようございます。本日からエステル記に入ります。エステル記は不思議な書物です。神名が一度も出てこないにもかかわらず、そこには、神の誠実さが深く読み取ることのできるものがあるからです。神は目には見えませんが、私たちの生活に確かに働く、恵み深いお方であると言えるでしょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.エステル記について
現在の日本語旧約聖書は、律法(5巻、創世記から申命記)、歴史(12巻、ヨシュア記からエステル記)、詩歌(5巻、ヨブ記から雅歌)、預言(17巻、イザヤ書からマラキ書)と、過去、現在、未来の時間的順序で構成されている。しかしもともとのヘブル語の旧約聖書は、律法(5巻)、預言書(8巻)、諸書(11巻)となっており、全体の内容は同じであるが、区分は異なっている。エステル記は、この場合「諸書」、特にユダヤ教の祭りに朗読されるメギロースと呼ばれるものに分類され、プリムの祭りに朗読された。
この書は、雅歌と同様に、神名が一度も出てこない、新約聖書にも引用されない、またモーセの律法に定められていないプリムの祭りが命じられている、といったことから、その正典性が疑われてきた。実際、クムラン宗団が所有していたとされる死海写本の中に、その断片すら見つからなかったこともあって、種々問題視されてきたのである。
しかしながら、旧約聖書を読む視点に、申命記的歴史と歴代誌的歴史と二つのものがあると言われるように、エズラ、ネヘミヤ、エステルの三書を歴代誌に語られた霊的な原理の具体的な展開として読んでいくと、これが正典に収められていることに異議を感じない。。つまり、エステル記に書かれていることは、ユダヤ人撲滅という歴史的な大事件を、神が阻止されたことであり、イスラエルと交わされたダビデ契約に対する神の誠実さが、明らかに示されていると思われるからである。
2.ワシュティの反抗
まず「クセルクセスの時代のこと」(新共同訳では、クセルクセス1世)とあるが、王は、BC481年のギリシヤ大遠征に備えて必要な人員、武器、資材、糧食を調達し、王国の富と力を示し、遠征中の反乱を防止するため大宴会を開いていた。ペルシヤ人は、極めて重要な事柄は酒飲み会議で相談し、しらふの時に決定する習慣があり、各地から交代で訪れた有職者(将軍)とそのようにしてギリシヤ遠征を決定したという。それは180日に及ぶ長丁場の宴会であったが、シュシャンの城の人民の労をねぎらおうとしたのだろう、クセルクセスは、さらに無礼講の宴会を7日間継ぎ足した(5節)。
王は全てうまくいったことで心が陽気になり、酔いの勢いもあったのだろう、王妃のワシュティに王冠だけをかぶらせて、皆の前に引き出すことを命じた。彼女の容姿が美しく自慢するためであったとされている。ペルシヤの王はハレムを持ち一夫多妻制であったから、ワシュティも王妃の一人であったとされる。そして、ワシュティが拒否したのは、夫人はよそ者に見られてはならないというペルシャのおきてを守ろうとしたためであるとも、また、ワシュティをアメストリスとする説では、ちょうど次の王になるアルタクセルクセス1世を出産する時期であったので臨月の姿を人目にさらすのを拒んだとも考えられている。
3.王の対応と聖書が教えること
ともあれ、王は、自分の命令が拒まれたことで激しく怒った。そして、自らの権威を最も効果的に示すために、王妃ワシュティをどうすべきかを側近の知恵ある者たちに相談した(13節)。彼らは、政治的、法律的知識に富む法官であり、彼らは、王と王妃の個人的な問題を、夫と妻の一般的な問題に重ね、妻の夫に対する尊敬と家長としての権威強化を求めた。この決定は、当時の公用語であったアラム語ではなく、各民族のことばによって布告されたほどに徹底された。こうした背景には、ペルシヤ帝国の拡大と支配によって、当時の中近東世界が文化的に多様化する中で、王の絶対的な権威と男性優位の社会秩序を確立する狙いがあったとされる。
事実、「男子はみな一家の主人となること、また、自分の民族の言語で話すことを命じた」(22節)というのは、外国語を話したがる外人妻に対して、夫は権威を持って自国語を語り、卑しくも妻に負けてはならない、夫としての権威を貫け、ということである。恐らく、こうした命令が出されること自体、社会は、家庭では妻が優位、つまり女性優位であったのだろう。聖書では、女性は夫に従うように教えられている。そして同時に夫は女性を愛するように教えられている。力をもって女性を従わせるのではなく、愛をもって女性が従うように導く、これが聖書の教えるところである(エペソ6:28)。