ヨシュア記21章 レビ族の相続
<要約>
おはようございます。土地の相続が終わり、「主がイスラエルの家に告げられた良いことは、一つもたがわず、すべて実現した」と結ばれます。神は約束を果たされるお方。主イエス・キリストにある恵みも、皆私たちに実現するものと理解すべきでしょう。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.レビ族の土地の分配
土地の分配がほぼ終わりに近づくと、最後に、祭司の役を務めるレビ族がモーセに自分たちが約束された土地を求めてきた(民数紀35:1-8)。そして彼らは、全部族の土地の中に、48の町と、その周囲に放牧地を与えられた。いわゆる農地ではない。彼らは放牧を生活の糧とした。また彼らはイスラエル中に散らされ、神のことばを分かち合う者となった。
4-8節は、レビ族のケハテ、ゲルション、メラリ、そしてアロンの子ら四氏族への町の分配について語っている。レビ人の中でも特別な役割を持っていた「アロンの子孫」は、エルサレムの神殿近く(南部)に配置されることになった。またケハテ族は、レビの二番目の息子の子孫で、契約の箱と他の幕屋の備品を運んだ氏族である。彼らは、初期イスラエルの礼拝の最初の中心地となった中央丘陵地帯を与えられている。また、ゲルション、メラリの諸氏族は、それぞれ北部、東部の町々を与えられている。
以下9-43節は、四氏族それぞれに与えられた町のリストである。アロンの子孫(10-19節)、ケハテ族(20-26節)、ゲルション族(27-33節)、メラリ族(34-40節)それぞれに、町が与えられている。
2.約束は果たされた
全ての町と領土の分配が終了した後、著者はこれまでのことを振り返り、要約的に次のように述べている。「主がイスラエルの家に告げられた良いことは、一つもたがわず、すべて実現した(45節)。」神は約束を果たされたのだ。その約束は最初アブラハムに与えられ(創世記13:14-17)、その子孫に与えられたものである(創世記17:8)。その約束に基づいて、モーセはイスラエルを引き連れてエジプトを脱出し、約束の地カナンへと向かい、ヨシュアがその働きを引き継いだ。そして約束を信じる戦いを戦い抜き、その土地を自分たちのものとしたのである。そういう意味で、まずこのリストは、神の約束の確かさを強調しているのである。
また、神は約束を守って、その戦いを終わらせ、周囲の者から守って、安住を許された。
神は土地の所有のみならず、敵からの「平安」をも約束していた(申命12:9-10)。神の約束の実現は、三度強調されている。神の約束された「すべて」は、まさに皆実現したのである。
3.神の言葉に懸ける
こうしてこの個所を読む私たちも、神は約束されたすべての良いことを、何一つたがわず、すべて実現されようとしていることを信じてよい。しかし、私たちにはそのような約束への信仰もないし、期待もないことがある。深い不信仰というべきか、諦めというべきか、今の自分と自分にまつわる状況に何一つ期待せず、感情的にも冷めてしまっている、ことがあるのではないだろうか。
しかし信仰は一種の賭けである。神の約束を思いめぐらし、静かに、これを熟考することにより、これにすがる以外に自分の救いの道は無いと決断することである。他に頼るものがあるのならば、そうすればよいだけのことなのだが、そうではないのだから、やはり、神の約束に、自分を賭けていくしかない。それは弱い言い方かもしれないが、どん底に落ちたものにとってはあり得ない道を、神の言葉に懸けて切り開いていく積極的なものなのである。私たちは霊的な約束の地を前にさ迷うことなく、約束の地を受け継ぐために、聖霊による戦いを戦い抜かなくてはならない。今日も神の約束に懸けていくこととしよう。