1歴代誌2章

2章 ダビデの系図

<要約>

おはようございます。系図は、なんとなく、どう読んだらよいのか、と思うところですが、まとまりを見つけていくことなのでしょう。そしてまとまりの意味を考えていくことだと思います。あるチェーン店のラーメン屋に入った時に、四代の家系の簡単な説明が、壁に貼っていたのを思い出すのですが、やはり、系図は、当人であればこそ意味のあるもの。その意味を掴むことが大事です。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.イスラエル(ヤコブ)の系図、構造

どうもわかりにくい内容である。1章では、アダムからノア、そしてノアの子ハムからアブラハム、そしてその子、イサク、ヤコブまでの流れが中心となる。2章では、イスラエル(ヤコブ)の12人の子ども(1,2節)の名がまずあげられる。これは、2-8章の見出しとなっているものであるが、それに続くのは、第四子、ユダの子孫、ダビデ王までの記録である。名前の順序は、一つの例外を除いて創世記35:23-26に一致している。

日本人には名前の羅列のようにしか見えないので、少しグループごとに、構造を整理するとわかりやすくなるのかもしれない。歴代誌の著者は、まず、ユダからペレツが生まれ(2:3-9)、ペレツからヘツロンに三人の子、つまりエラフメエル、ラム、カレブが生まれたことを示す。そして順にラムの系図(2:10-17)、カレブの系図(2:18-24)、エラフメエルの系図(2:25-41)と記録していき、最後にカレブの系図を補足している(42-55)。

これらは、旧約聖書には二度しか出てこないユダの系図に基づいて造られている(創世記46:12、民数26:19-22)。そしていささか混乱してしまうのは、カレブが、ヨシュアと共に働き、心から主に従いとおしたケナズ人エフネの子カレブ(民数14:24、ヨシュア14:6)ではなく、もう一人のカレブ、つまりヘツロンの子カレブの系図であって、前者については、4:15-16で別途取り扱われていることである。イスラエルの歴史には二人のカレブが出てくるのであり、残念なことに、この両者の系図は、42-50節を読むと混ざり合っている可能性がある、ということだ。

2.ラムの子孫

さて本題に入ろう。ラムが長子ではないのに、それが最初に取り上げられているのはラムの子孫からダビデが出ているためなのだろう(10節)。1サムエル16:10-13,17:2では、ダビデは8番目の子となっているが、ここでは7番目の子とされている。それはおそらく、ダビデのすぐ前の兄が、若くして亡くなったので省略されたため、と思われる。構造的に注目すべきことは、次男ラムの子孫に続いて、三男カレブの子孫を記録するところであるが、三男カレブの子孫から生まれたベツァルエルとの対比である。ダビデは神殿を、ベツァルエルは、幕屋を建てている。ここに礼拝の民の系図を書き記そうとした著者の意図があるように思われる。

実際、イスラエルと記されたこの系図は、ユダ族が中心である。歴代誌は、ダビデ契約を重視しており(2歴代17章)さらに、実際の帰還民の中心はユダ族にあったこともあるが、歴代誌の著者の関心は、北と南に分かれ、神の民であることを追求した南の霊的な伝統にあった、と言える。北の十部族は、すでに100年以上も前にアッシリヤに吸収され、霧散していた。しかし、ユダ部族は捕囚の民としてバビロンに連れ去られ吸収されてはいたが、その中で、系図を残し生き延びたのである。しかも神を礼拝する民として記憶され続けてきた歴史がある。

ともあれ、そこに記された人物一人一人がどのような人生を生きたのかはわからず、わずか少数の者の生涯が、垣間見られる程度である。そして、彼らの記録を思い起こせば、神を礼拝する民として記録されながらも、決してそれにふさわしい者たちではない事実もある。ユダの子孫について、この系図では、ユダの長子エルと、カルミの子アカル(ヨシュア記7章ではアカン)の罪が特筆されている。そのような記載は、この書の関心が、単なる血統を誇る家系図として記されたのではなく、神の救済の歴史を示し、訓戒を与え、神の霊的な伝統がどのようなものであるかを教えようとするからである。

人は同じような罪を繰り返すことがある。成長がないと言えばそれまでだが、大切な霊的な学びをなしえぬ時に、何度も同じところを通らされる。だから、つまずきの度に、必ずそこで何かを学んでいくことが大切である。身体は、鍛えずとも成長するものだが、鍛えない身体と、鍛え抜いたそれとでは、体力も俊敏性、持久力も全く異なるものだろう。霊性も同じで、しっかり鍛えられた霊性と、そうでないものは、いずれその違いは明らかとなる。私たちが訓戒から学び、自分自身に霊的な訓練を与えるのならば、それなりの成長がある。聖書の教えは、私たちの将来を健全に育て上げる、指南書というべきものだ(2テモテ3:16-17)だから、私たちはヨハネ的な言い方をすれば「いのちの書」(黙示録20:15)に名を連ねる、霊的な伝統の系図の中に入れられているのだから、捕囚の地にあって、どのように生きるか、ということは大切にされなくてはならない。

3.2:24節の問題

最後に2:24の問題について触れておこう。新改訳は、「ヘツロンがエフラテのカレブで死んで後、ヘツロンの妻アビヤは、彼にテコアの父アシュフルを産んだ」とある。一方、新共同訳は、「ヘツロンの死後、カレブは自分の父ヘツロンの妻エフラタと結婚し、エフラタはテコアの父アシュフルを産んだ」とある。新改訳は、カレブを地名で捉えているが、新共同訳は、カレブを人名で捉えている。だからカレブは父親の妻と結婚した、という訳になっている。

翻訳の違いは、大きく二つの理由による。一つは、写本レベルでの違い、そしてもう一つは翻訳レベルの違いである。ここでは、翻訳の前段階としてどのテキストから翻訳するかの違いによっている。新改訳は、ヘブル語聖書、いわゆるマソラ本文を採用しているのだが、新共同訳は、ヘブル語からギリシャ語に訳出された七十人訳の本文を採用している。そこから来る、訳の違いである。

だから、新改訳は地名として理解して訳出するわけだが、これは、1サムエル30:14にもこのような用法はあって、カレブの家に所属する地名と理解できるわけである。おそらく、24節の、妻エフラタと住んだ土地が、ヘブル語で言う「カレブ・エフラタ―」なのだろう。そしてこれは、ベツレヘムの旧名であるともされている。一方、七十人訳をとると、カレブは何人か妻がいながらも、さらにめとったエフラタは、父の妻であった、ということになる。しかし、アドニヤがダビデの妻アビシャグを妻にめとったこと(1列王2:21)を考えれば、これも一つの解釈を採用した翻訳としては成り立つのだろう。

 

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