2列王記23章

23章 ヨシヤ王の改革
<要約>
おはようございます。色々と、アッシリヤ、エジプト、新バビロニアの国際情勢の変化が背景にあるところです。それらを全て掴み取ることはできないとしても、ある程度その流れを理解しながら、ヨシヤ王の信仰的な態度を考えていくことが大切なのでしょう。柔軟さ、しなやかさのある信仰の歩みをしたいところです。今日も、あなたが主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.ヨシヤの宗教改革
ヨシヤ王の宗教改革は徹底していた。異教の偶像が、次々と取り除かれ、灰にされ、捨てられていく。主の本堂にあったバアルやアシェラの器物、アシェラ像(4、6節)、主の宮の中にあった神殿男娼の家(7節)、ユダの町々にあった高き所(8節)、ベン・ヒノムの谷にあるトフェテ(10節)、太陽の車(11節)、歴代の王たち(アハズ、マナセ、ソロモン、ヤロブアム)が作った異教の祭壇(12節)、サマリヤの町々の高き所(19節)、そして、霊媒、口寄せ、テラフィム、偶像、とユダの地とエルサレムに見られるすべての忌み嫌うべき物(24節)、である。もはや、町の姿は様変わりし、新たな空気を感じさせたことであろう。ヨシヤは、主の礼拝を復活させた。そして過ぎ超しの生け贄をささげさせた。イスラエル独自の風習が回復されたのである。
確かにこの時代、国際情勢はマナセ、アモンの時代とは様変わりをしていた。サマリヤはアッシリヤの領土であったから、その地の偶像を破壊することは、明らかに弱体化しつつあったアッシリヤに対する挑戦的な行為でもあった。
聖書記者は、ヨシヤについて「モーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、ひとりも起こらなかった」(25節)と評価している。それは徹底した悔い改めであり、しらみつぶしのように、自らの罪を悔い改め始末する熱心さである。
2.聖書に基づく改革
そのエネルギーは一体どこから来たのか。それは、単なる反アッシリヤ、イスラエルナショナリズムによるものではなく、契約の書との出会いによるものであった。ことにそれは申命記であったとされるのは、彼の行動が申命記に基づいていると見なされるからである(申命記18:6-9、23:9など)。ともあれ彼が王になってから18年、契約の書に出会うまで、宮の偶像は放置されたままであった。しかし、契約の書を読むことで、それが罪であることを悟らされていく。主のことばに心を開く時に聖霊が働く。心から悔い改め、主の御心に応じようとするところに、新しいいのちのわざが生じる。悔い改めの連続が、私たちの新しい信仰生活を形作るのである。
ただ23章を読みながら疑問がわく。ヨシヤ王の徹底した宗教改革にも関わらず、なぜ「主はユダに向けて燃やされた激しい怒りを静めようとされなかった」(26節)のか。ヨシヤ王の宗教改革は骨折り損であったのか。巨視的に見ればそうであったかもしれない。、人間がよい業を積み重ねたからと言って、罪の結果を贖うことはできないものであろうし、神が、人間の態度に一喜一憂しながら、歴史の流れを変えていくことはないだろう。神の大きなシナリオが変わることはない。けれども、神は、人間の小さな感情を見過ごしたり、見逃したりする方ではないことも事実である。神はヨシヤが心を痛めて主の前に遜り、主の前で泣いたことを見ておられ、ヨシヤの願いを聞き入れている。滅びに向かう人類の歩みの中で、個々の悔い改めがなされる時に、神はあわれみを惜しまず個別に対処してくださるのであるから、そこに私たちの改革の意義もある。それは、一人でも多くの魂を滅びの大河の流れから救い出すようなものである。
3.ヨシヤの死
なおヨシヤの最期は戦死であった。BC612年、アッシリヤの首都ニネべがメディア、スキタイ、新バビロニア連合軍によって陥落すると、アッシリヤ亡命軍はハランに遷都した。BC609年にアッシリヤ亡命軍は、新バビロニア連合軍の脅威にさらされてカルケミシュに移動している。その亡命軍のアッシュル・ウバリトゥを助けるために、アッシリヤの属国であったエジプトが北上したのが、この記事の背景にある。
メギドは、海の道を阻むような形で横たわるカルメル山脈の谷間に位置し、戦略的には、軍隊を山頂から挟み撃ちにし、絶滅させることのできる要衝であった。ヨシヤはそこで、エジプト軍を阻止しようとした。しかし、エジプト軍が、そのような難所で、ユダ南王国の軍隊を打ち破り、ヨシヤを殺した状況が、当時の衰退したユダ南王国の力を示している。ヨシヤの宗教改革にしても、またエジプトを阻もうとしたその威勢もよかったが、現実にユダ南王国の力は、衰えるだけ衰えていたのである。実際、エジプトに課せられた戦勝賠償金を払うお金はもはや、国民からかき集める他なかった。ヒゼキヤの時代、銀300タラントと金30タラントをアッシリヤに戦争賠償金として支払った時には、神殿の扉から剥ぎ取ったのだが、もはや、ユダ南王国は、銀100タラントと金1タラントの賠償金を国民に税を課して支払う他なかったのである。ユダ南王国の終焉が近づいていた。
なお2歴代誌を読むと、目標はユダではないのだから、ヨシヤ王にこの戦争から手を引くように、ネコが警告していることがわかる(35:21)。しかし、彼は手を引かなかった。神のみこころを第一とする彼が、「神の御口から出たネコのことばに聞こうとしなかった」(22節)という。神の言葉に従うことの意味を考えさせられるところである。神の言葉に従うというのは、聖書のみことばに杓子定規に生きていけばよいというわけではないのだろう。むしろ、柔軟に考え抜き、知恵深く物事を進めていく部分がある。神のご計画を思う時に、それが運命論的に思われてくる部分も多々あるのだが、神が善であることを信頼し、わからないところはわからないとし、杓子定規な信仰ではなく、神とよき時を過ごしながら、真に神の語り掛けに耳を傾け従っていくことが大切にされなくてはならない。

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