レビ記の初めの七章は、主に献げられるべき物について語っています。
1.穀物のささげ物の種類と特徴(1、4、14)
当時の人々が献げるように教えられた第二のものは、土地を耕すことによって得られた農産物で、穀物のささげ物です。通常、それは、単独ではなく、動物のささげ物と一緒に献げられ、神への感謝の気持ちを伝えるものとされました。ただ、ささげ物としての動物を手に入れられないほど貧しい者は、穀物のささげ物だけを献げることが許されました(レビ5:11)。それ以外は、毎日朝と夕に献げられる全焼のささげ物と一緒に献げられます。穀物のささげ物には、小麦粉が使われました。小麦粉は、穀物の中でも特に価値が高いものでした。どんなに貧しい人でも、神に献げるものは、最上のものでなければならないと教えられたのです。
また三つの献げ方が指定されました。奉納者の財力に応じて、調理していない小麦粉(1-3節)、調理したもの(手で平らに伸ばされ、熱い石のかまどで焼かれたパン)(4-13節)、単に火であぶっただけの穀粒か引き割り麦などです(14-15節)。いずれにせよ、手が加えられ、そのまま献げられることはありませんでした。つまり一生懸命働いた成果を献げ、神への感謝を伝える意義を持つわけですから、それを何らか手を加える形で表現したわけです。
2.ささげ物への追加物と禁止されるもの(2-3、5-13、15-16)
また穀物のささげ物には、乳香、油、塩を混ぜて献げられました。また、パン種や蜂蜜を入れることは禁止されています。それぞれに意味がありました。
油は通常オリーブ油で(1,4-7、15-16節)、王や祭司の任職の際に注がれるように、聖霊の象徴です(2コリント1:21-22)。主の生涯もそうであったように(使徒10:38)、私たちも聖霊に助けられた日々の働きを主に献げるのです。つまり日々の生活において迷いや悩みがあった時に、祈りを通じて導きを得て聖霊の働きがあることを認めます。そしてささげ物によって感謝の心を表すのです。
乳香(1、15節)は、かんらん科の植物の樹脂で、幹に傷をつけると乳白色の樹脂がにじみ出て採取されるものです。様々な種類のものがありましたが、当時は入手しにくい貴重なものでした。古代エジプトにおいては、神にささげる薫香として使われ、王だけしか使うことを許されなかった聖なるものです。このエジプトの習慣がユダヤ人にそのまま伝わったと考えられています。乳香の煙は神を拝する人々と神を結ぶもの、つまり祈りの象徴です(詩篇141:2,黙示録5:8)。主にささげ物を献げる時には、神と一つ心になる祈り心が必要なのです。
また、塩(13節)は、腐敗を防ぐことと味付けをすることがその目的ですが、「神の契約の塩」(民数18:19)とあるように、それは、神の契約の不変性を象徴します。神と自分たちとの関係は、永遠に変わらない、その前提を踏まえて私たちの生活も礼拝もあるのです。
最後に、ささげ物には、パン種や蜜を入れてはならないことを教えられます。パン種や蜜には、発酵や腐敗を促進させる作用がありました(1コリント5:6-8)。確かに労働の実に腐敗があってはなりません。
現代の私たちは、実際に穀物のささげ物を献げることはしません。しかし、礼拝の中で何を献げているかを考えることが重要です。今日、私たちが教会で献げるものの一つがお金です。これも、私たちの労働の結果としてのものであり、昔の穀物のささげ物と同じ意味を持っています。
そのため、穀物のささげ物を献げるときに守られていた心得を、同じように心に留める必要があります。例えば、私たちは聖霊の守りと助けを受けながら、会社での仕事を支えられています。時には祈りを通じて仕事の困難に立ち向かい、神の永遠の契約を信じることで、どのような労働にも良い結果を期待することができます。こうした思いを持って、私たちは主に献金をしています。
重要なのは、神が喜ばれるのはお金そのものではないことです。神は、お金を稼ぐための私たちの勤勉さや誠実さ、そして主に頼る姿勢に注目し喜ばれるのです。金額の大小は問題ではありません。特に、不正な方法で得たお金や、形だけの心のこもっていないお金は神に喜ばれるものではありません。
献金によって、私たちは日々一生懸命働いた成果を主に献げているのです。そのような意識のもとで献げられる献金であればこそ、教会財政も本当の意味で強くされることでしょう。
礼拝において、私たちは、全焼のささげ物が象徴するもの、自らのいのちを献げます。そしてさらに、穀物のささげ物が象徴するもの、いのちの営みの結果、つまり労働の実を献げます。全焼のささげ物がまず2000年前に、イエスのいのちが献げられたように、これもまずイエスの地上の生涯が、神を喜ばせる実として献げられたことを思い起こすことが大切で、それに重ねて、私たちの日々の労働と生活の実を献げるのです。主に対するささげ物の認識を新たにしたいところではないでしょうか。神の祝福がありますように。では、また明日、この場でお会いしましょう。
Leviticus Chapter 2: Grain Offerings
The first seven chapters of Leviticus describe the offerings to be given to the Lord. The second type of offering mentioned is grain offerings, which were products of the land. Typically, these offerings were given along with animal sacrifices to express gratitude to God. However, those who were too poor to offer animals could offer only grain (Leviticus 5:11). Otherwise, grain offerings were given daily with burnt offerings in the morning and evening. The grain offering used fine flour, which was highly valued. Even the poor were taught to offer the best they had to God.
Types of Grain Offerings
There were three types of grain offerings based on the giver’s resources:
Uncooked fine flour (verses 1-3)
Bread baked on a hot stone (verses 4-13)
Roasted grains or crushed wheat (verses 14-15)
In all cases, the offerings were prepared and not presented raw. This signified offering the fruits of one’s labor to God.
Additions and Prohibitions
Grain offerings included incense, oil, and salt, but not yeast or honey.
Oil (usually olive oil) symbolized the Holy Spirit (2 Corinthians 1:21-22). Like Jesus’ life, our daily work, guided by the Holy Spirit, is offered to God.
Incense symbolized prayer (Psalm 141:2, Revelation 5:8). It represented a holy connection between worshippers and God.
Salt symbolized the unchanging covenant with God (Numbers 18:19). Our relationship with God is eternal and unchanging.
Yeast and honey were forbidden because they caused fermentation and decay (1 Corinthians 5:6-8).
Modern-Day Offerings
Today, we don’t offer grain but think about what we offer in worship. One of our offerings is money, which represents the fruits of our labor, similar to grain offerings.
Lessons for Modern Offerings
We should remember the principles of grain offerings:
Our work is supported by the Holy Spirit, and we sometimes overcome work challenges through prayer.
We offer money as a sign of our diligent and sincere work and trust in God, not for its amount.
Unjustly earned money or insincere offerings are not pleasing to God.
Through offerings, we dedicate the results of our hard work to the Lord. Such offerings strengthen the church’s finances meaningfully. In worship, we offer our lives (represented by burnt offerings) and the results of our labor (represented by grain offerings). Just as Jesus’ life pleased God 2000 years ago, we offer our daily labor and lives to Him.
May God’s blessings be with you. See you again tomorrow.