ヨハネの黙示録1章

ヨハネの黙示録1章 七つの教会への序言
1. 七つの教会へ(1:1-6)
 今日からヨハネの黙示録を学びます。コロナパンデミック、このような時にこそ、ヨハネの黙示録を読むことは、タイムリーなことかもしれませんね。一般に黙示録は難解な書と思われています。しかし、ユダヤ人の文化や旧約聖書に親しんでいれば、それほど難しいものではありません。まず、冒頭に「イエス・キリストの黙示」とあります。つまりその内容はヨハネの創作ではなく、キリストが明らかにしたもの、そして黙示とは、今まで隠されていた霊的な真理のことを言います。それをヨハネは耳からではなく、目を通して、幻という形式で伝達されているのです。
大切なのは3節、この書が書かれた目的です。黙示録というと、なんとなく怖いと思う人もいるでしょう。けれども、この書は、手にして読む人々の幸せのために書かれたのだ、と言います。ぜひ礼拝で取り上げて読んで、皆で心に留めなさい、と言います。
4節、宛先は、アジアにある七つの教会です。アジアは、当時のローマの行政区のアジア州で、今日ではトルコ、そこに点在する七つの教会へ宛てたものでした。それらの教会に、「今おられ、昔おられ、やがて来られる方」から挨拶が送られます。簡単に言えば、永遠に変わらぬ父なる神について語るものでしょう。神は歴史を始め、歴史を終わらせる、永遠のお方です。また「その御座の前におられる七つの御霊から」は七は、ユダヤ人の文化では完全数、完全な神である聖霊ご自身からということでしょう。そして5節、復活の主イエスキリストから、と三拍子揃えられていますから、ここにも三位一体の教理は明確、三位一体の神からの挨拶があった、というわけです(4、5節)。
そして神が私たちに語り掛ける理由が記載されます。6節、つまり神と私たちの関りがはっきり語られます。神は、私たちを愛してくださいました。実際十字架で血を流し、罪の生活から解放してくださいました。また、私たちを王とし、祭司としてくださいました。もはや人間の屑などと呼ばれるような者は誰一人おりません。どんな人も神は最大限に尊重されるべき王として見ておられます。そして、また用無しの人間などありません。神は、全ての人をご自身の尊い器、信頼に値する仲介者として見ておられるのです。まことに神がそのようなお方であるとすれば、神をほめたたえる気持ちにもなります。そしてヨハネは言います。その神は、約束されたとおり、目に言える形で再臨される、と。それは、すべての人が、聖書に書かれたことが正しいことで、まことにこの世には裁き主がおられることを悟る時である、と。
2.イエスとヨハネ(1:9-20)
さてヨハネは、この出来事があった時、パトモス島という島にいました。パトモス島には、銀山がありましたが、人の住むような場所ではありませんでした。彼は、信仰の故に迫害を受け、そこに島流しの刑に処せられていたのです。それはまさに「イエスにある苦難」でしたが、同時に、ヨハネはこれを御国に与る経験であり、忍耐の時だと語ります(9節)。すでに90歳近いヨハネにとってそれはサバイバルとも言うべき環境でしたが、そのような事態にも泰然自若としている姿が印象的ですね(9節)。
実際ヨハネは、そこで幻の内に主イエスとお会いしています。12節イエスは、七つの教会、七つの燭台の真ん中に立っています。7は完全数、全体を表すことば、そして「燭台」は20節で「教会」と言い換えられているので、全世界の教会の中心にイエスが立っておられるイメージが伝えられています。そしてイエスの御姿は7つの直喩(~のような)で比ゆ的に語られています。「その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く」(14節)は、イエスの完全な純潔さ、「その目は、燃える炎のよう」(14節)は、主の厳しさを語っています。つまり、ヨハネは、イエスの素晴らしさと卓越性を伝えようとしているのです。そしてこの、圧倒的な神の栄光を前に、ヨハネは神の前に深い恐れを抱いていますね。確かに、神がおられるとしたら、その神の前に立つということは、極めて厳粛で、恐れ多い、地に伏す経験でしょう。しかし、神は私たちに友のように語られるのです。17節「恐れることはない」と。
そしてイエスは、ヨハネに、今見ていること、そしてこれから後起こると語られる二つのことを書き記すように語られます。黙示録は、当時のユダヤ人のみならず、現代の私たちにも語り掛ける二重のメッセージを持っています。そしてこれに耳を傾け、心を留めるなら幸いであるとされます。なぜなら時が近づいている。歴史の幕を開かれた神が、もうすぐ歴史の幕引きをしようとしている時が近づいている。黙示録が何を語ろうとしているのか、これから21章、共に読んでまいりましょう。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「ユダの手紙で、聖書以外の書物からの引用があると言われているのは、どの箇所でしょうか?2か所あります。」答えは、9節御使いのかしらミカエルと悪魔の論争、14節エノクの預言です。これらは聖書ではない外典からの引用とされますが、まだ旧約聖書の範囲が定まっていなかった当時の状況を伺い知る部分です。では、今日の聖書クイズを一つ。ヨハネの黙示録の宛先となった七つの教会は、地理的に、今日ではどの国に位置していたでしょうか?①イスラエル、②トルコ、③ギリシア、答えはまた明日、今日もよき一日となるように祈ります。

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