ネヘミヤ記2章

2章 エルサレム再建に取り組むネヘミヤ

<要約>

おはようございます。エルサレムの再建に取り組むネヘミヤの姿があります。それは、神の御心を求め、神の導きに従う姿です。再建は神の業であればこそ、神の導きが何よりも大事にされなくてはなりません。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.ネヘミヤの祈り

エルサレムの窮状を嘆き、これを何とかしたいと願ったネヘミヤであるが、彼は即座に、献酌官を辞めて出て行ったわけではなかった。彼は、祈りながら、神の時を待った。しかしそれで、何かが起こるという保障もなかった。時は、容赦なく過ぎて行った。

そんなネヘミヤの変化にアルタシャスタ王が気づいた。献酌官ともあろう者が、王の前に、神妙な顔つきで出ていることは、王にとっても心穏やではなかったことだろう。しかしそこに神の業があった。神はネヘミヤを信頼する王に、ネヘミヤの気持ちを聞く心を与えてくれたのである。ただそのように、心を開いてくれる王に対して、率直に自分の心の内、ことに政治的なユダヤの町の再建を願う思いを語ることは、誤解を招く恐れもあり、王に心配されるのは、ネヘミヤにとって嬉しくもあり、恐れを抱くことでもあったと言える。

ネヘミヤは、「天の神に祈ってから」答えている。聖書の神は「天の神」として語られる。単に神ではない。それは、イスラエルのみならず、ペルシャにおいても、あらゆる民族の上にある天の神である。すなわち異教の王アルタシャスタの思いすらも、支配し、導かれる神である。その神が、ネヘミヤの一つ一つのことばを、王に納得させてくださるようにという思いからであろう。王はそれを受け止めた。祈りが、私たちのことばを導き、ことばを相手に納得させ、物事を動くように導いていくのである。

2.エルサレムに来たネヘミヤ

こうして後、ネヘミヤは、王の厚意を得てエルサレムに来ることになった。ある時、彼は夜中に起きた。一人、エルサレムの廃墟の中を歩き回った。崩れた城壁を巡り、泉の門と王の池の方に進んだがそこには通れる場所がなかった。彼は、一人で町を巡りながら、これをどのように再建すべきか、知恵を求めて心から神に祈る思いであったのだろう。ネヘミヤは、崩れたエルサレムの城壁の跡を辿りながら考えた。何をどのようにすべきか、どこからどのように手をつけるべきか。事実神は私たちに考える頭を与えてくださっている。祈るだけではなく、具体的に物事を考え抜いていくところに、私たちの道も開かれていく。つまり不都合なことがあったならば、祈りつつ神の大いなる導きを期待し、さらに、そこでどのようにこの不都合を乗り越えるべきかを考え抜くことが大切なのである。また、自分が失敗してしまったとしたら、どうしたらこの失敗を起こさなくてすむようになるかを考えて行けばよい。祈りと思慮をもって、明晰に物事を考えて、物事を整理して、物事にあたっていくのである。

3.再建に取り組むネヘミヤ

こうしてネヘミヤは必要を確かめた(11節)。そしてなすべきことを、代表者たちに訴えた。「さあ、再建にとりかかろう」と言って、その良い仕事に着手したという。神を信じる者は、慌てずに物事に取り組んでいく。神がなさろうとしていることは、実現していくのであるから、じっくり腰を据えて取り組んだらよいのである。なすべき当たり前のことをしていけば、いつしか神が全てを導き整え動かしておられることに、気づくようになる。神の御心に取り組んでいるとなればこそ、神の先導を覚えて、神の熱心さがこれを成し遂げると思い、なすべきことをなすまでである。落胆したり、不安になったりするのは、どこか自分の思いで動いているところがあるからなのだろう。神の働きに取り組もう。

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