ネヘミヤ記1章

ネヘミヤ記1章 エルサレムの惨状

<要約>

おはようございます。本日からネヘミヤ記に入ります。指導者ネヘミヤの祈りに、色々と教えられるところでしょう。キリストの恵みにあって神の子とされている私たちは、大胆に神に近付き、祈ることが許されていることを覚えたいものです。確信をもって、種々の必要について祈りましょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.政治暦と宗教暦

ネヘミヤ記に記録された出来事は、アルタシャスタ1世の第20年(BC445年)のことであるから、時間順から言えば、エズラ記、エステル記の後ということになる。実際、それは、エズラがエルサレムに旅経った13年後の出来事である(エズラ7:7)。

さて1:1「キスレウの月」は、太陽暦の11-12月頃になる。しかし、2:1には第20年の「ニサンの月」とあり、それは3-4月頃になるので、時間の流れからすれば1:1の11-12月は、アルタシャスタ1世の第19年のこととなるだろう。つまりそこには、筆写上の誤りがあるのではないかと言われてきた。しかしそもそも古代ユダヤには、春から1年が始まる宗教暦(または「教暦」「新暦」ともいう)と、秋から1年が始まる政治暦(または「政暦」「旧暦」ともいう)との2種類があった。ユダ族(南王国)では後者の政治暦を使っていたため、その流れで現代のユダヤ暦も政治暦に準拠するものとなっているが、このネヘミヤの時代も、主として捕囚帰還がユダ族の者であることを考えると、チスリの月(現在の9-10月頃)を年の初めとする考え方にそって、この順序でよいことになるだろう。

2.ネヘミヤの苦悩

この時ネヘミヤは、シュシャンにいた。ペルシャの王は、シュシャンを春の王宮にしていた。ネヘミヤは王の献酌官、つまり王の給仕をする王の酒の毒味役であった。それは、王の命のみならず、政治的な相談役としても重要な役割であったようだ。

そこに、親類のひとりハナニがやってきた。ユダから来た数人の者と一緒に、やってきて、エルサレムの窮状について聞かされた。城壁の破壊は、ネブカデネザル王時代のバビロン軍によるものではなく、むしろエズラ4:7-23に描かれた、神殿再建の途上で起こったものであるとされる。つまり、城壁を再建しようとしたところ、それがアルタシャスタ王に報告され、直ちに武力、権力で工事が中断された出来事である。ネヘミヤが、深い悲しみをもってその報告を受け止めたのは、それがつい近頃の出来事であり、同時代の同胞の苦しみを聞かされたことによる。ネヘミヤは、一人神の前に出て、神に祈り求めた。

2.ネヘミヤの祈り

ネヘミヤの信仰の姿勢に教えられるところであるが、まずネヘミヤは、自分も自分の先祖も罪を犯したと告白している。自らが罪人であることを率直に認めている。私たちに足りないのは、自らの現実を直視することだ。なかなか自分自身の問題を素直に認め、ここに問題がある、ここが悔い改めなければならないところであると、自分自身に向かい合うことができない。しかしそこが、神の回復に与る第一歩である。

次に、ネヘミヤは、モーセに対する約束を取り上げて、信頼をもって祈った。たとえ私たちが神に裁かれ、散らされ、回復の見込みなしと思われる状況にあっても、神の前に悔い改める時に、神はこれを回復される約束である。私たちの祈りに希望があるとすれば、それは、自分ではなくアブラハム、モーセ、またイエスに対して神が約束されたことがあるからだ。そこに立つわけである。モーセに対する約束も、イエスに対する約束も、私たちのものである信仰に立つことだ。ネヘミヤは、モーセに対する約束を自分自身に対する約束として取り上げた。「立ち返り、命令を守り行うなら」(9節)、いつでも、主は私たちに心を開かれると約束されたそのことばをそのまま取り上げて、信頼して祈った。

そして最後に、ネヘミヤは、自分たちが贖われた者である信仰に立っている。私たちに神の特別な恩恵があるとするならば、それは、私たちが、イエスの十字架の血潮という尊い代価によって贖われた者である事実にある。誰でも、イエスの十字架を自分の罪の赦しのためであり、神との和解のためであると受け入れる者は、贖われた者である。特別な神の愛顧を受けるようにされた者である。神に期待を寄せて歩ませていただこう。

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