テサロニケ人への手紙第二3章

2テサロニケ人への手紙3章 締まりない者への戒め
1.テサロニケの人々への願いと祈り(3:1-5)
テサロニケの手紙第二は、短く3章で終わりですが、最後にパウロは、自分のために、祈るようにお願いをしています。祈祷課題は、二つでした。一つは、福音が早く広まること。「早く広まる」は、ギリシア語で「トゥレコー」競技場で走ることを意味します。全力を尽くした走りのイメージ、できるだけ早くということでしょう。二つ目に自分と同労者の身の安全が守られるように、です(2節)。確かにそれは必要な祈りでした。しかし、守りを必要としているのは、パウロのみならず、テサロニケの人々も同じです。そこで3節、パウロは、主の真実さを強調し、テサロニケの信徒に対する配慮も忘れません。信仰者は、お互いに支え合うことをもってよしとするのです。4節「私たちが命じること」は、おそらくこれから語る6節以降のことを指していると思われますが、いずれにせよ、キーワードは忍耐です。教会が教会として立ち、主の栄光を現わしていくのに、必要なのは、私たちの忍耐、そして祈りでしょう(5節)。
2.テサロニケの人々への命令(3:6-13)
 そこで6節、パウロは、怠惰で、聖書の教えに従おうとしないような者とは距離を置くように語ります。怠惰に暮らす、それは、具体的に、キリストの再臨が間近と主張して、日々の仕事を放棄している人々のことを指していました。私は思いますが、宗教に熱心であるのはよい、しかし、教会の奉仕を言い訳にして、教会に入り浸って、家族や職場に対する責任をおざなりにするのはどうであろうか、と。それも一種の怠惰な暮らしです。すでにパウロは、第一の手紙でそのような人たちを戒めています(4:9-12)。しかし、彼らはパウロの警告に聞き従いませんでした。そこで彼はもう一度、そのような生活態度に戒めを与えているのです。おせっかいばかり焼いていないで、落ち着いて仕事をしなさい、と。大切なのは、今の生活が、そのまま天の御国の生活につながるような誠実さに生きていくことでしょう。一見熱心でありながら、どこか逃口上の熱心さなど、偽善的で、人に対する証にはなりません。
パウロは、そのような人々に忠告を発すると同時に、「あながたがは」そうであってはならない、「たゆまず良い働きをしなさい」と勧めます。「良い働き」と訳されたギリシア語の意味は、慈善ではなく、公平なふるまい、高貴な働きを意味します。つまり、いつも、神の目に適う、誠実な働きをしなさい、ということでしょう。
そして14節、そのような怠惰な生活をする人とは、先に距離を置きなさいと命じていましたが、敵とみなすようなことをしてはいけないと加えます。異分子と思われるような人は、排斥する、村八分にする、これが世の流れです。しかし教会はそこが違うのです。やはりある程度の距離は保ちながら、兄弟として諭していく。教会は人を建て上げていく場なのですね。神がその人を愛し、育ててくださることを信じて、関わりを続けていく。信仰がなければ、そのような関わりというのは難しいことです。やはり教会というのは、神がおられるところ、神の業が起こるところです。怠惰な暮らしをするような人も、神にあって変えられて誠実な暮らしをする人になる、そのような奇跡が起こる場というべきでしょう。このブログの読者の上にも、またリスナーの上にも、平和の主ご自身が共にいてくださるように、そして主の恵みあるようにと祈らされるところです。では今日も良い一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズですが、「パウロが使う「滅びの子」はそもそも、どこから来たことばでしょうか。」答えは、②イエスの造語でした。イエスを敵の手に売り渡そうとしていた、イスカリオテのユダを指すことばとして使われたのが初めです(ヨハネ17:12)。では、今日の聖書クイズを一つ。「反キリスト」という言い方の反は何を意味しているでしょうか?①キリストに反逆する人、②キリストにとって代わる人。③反逆し、とって代わる二つの意味。答えは、また明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

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