創世記50章

創世記章ヤコブの死とヨセフの死
1.ヤコブの葬儀(50:1-14)
ヤコブは、天に召されました。ヨセフがヤコブをミイラにしています。この時、ヨセフが、専門家を呼ばずに医者を呼んだのは、ミイラ化にともなう宗教的・呪術的儀式を避けるためであったと考えられています。立場上ヨセフは、エジプトの慣例を無視することはできなかったでしょう。しかしそれは、死者崇拝と結びついたミイラ化の儀式において、その実用的な部分のみを受け入れたヨセフの信仰の在り方を物語っているようです。
10節、ヨルダンの向こうの地、とあります。ヤコブの葬儀が行われた「ゴレン・ハ・アダデ」が具体的にどこであるかはわかっていません。またエジプトからカナンに至る通常のルートは海沿いの道ですが、どうやらわざわざ死海を迂回して北東からカナンに至る遠回りをしてカナンに入り、マクペラの畑地の洞穴に辿り着ています。なぜそんなことをしたのか、理由はよくわかっていませんが、このルートは、後にエジプトを脱出したイスラエル人たちが、約束の地カナンへと戻っていった際に、辿ったものです。ともあれこうしてヤコブは約束の地に葬られました。
2.兄弟との和解(50:15-21)
さてヤコブの死後、ヨセフの兄弟たちが陰で相談を始めました。彼らは、ヨセフを信用せず、その仕返しを恐れていたのです。しかし、ヨセフは語りかけます。「恐れることはありません。あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました」(20節)。もはやヨセフの心の傷は、完全に癒されていました。兄弟たちが恐れた復讐心など、ヨセフには微塵もなかったのです。むしろ問題は、悪を図った兄たちでした。彼らは、自分たちの過去の記憶に責められ、その矛先を相手に向けているのです。罪人の心理がよく表されているところです。本来は、自分の問題なのに、相手に問題があるかのように考えてしまう。けれども救われた罪人はそうではありません。救われた罪人は、神の守りと助けを信じます。神が正しいことをなさり(19節、ローマ12:19)、さらには良き結果に転じてくださると信じます(20節、45:5)。ですからたとえ悪事を身に受けることがあっても、すべては神のみ許しの中で生じていることであると考え、物事に動じることもなく、静かにその成り行きを見定めていくこともできるのです。神のご配慮と悪を善に変える神の力を覚えればこそ、悪に対して赦しと愛情をもって報いることもできます(21節、ルカ6:27)。実際「私は、あなたがたも、あなた方の子どもたちも養いましょう」と語るヨセフには、兄弟たちに対する心からの愛が溢れていました。
さて、創世記を読み終わりました。創世記は旧約聖書の本質的なメッセージをよく描いています。それは後の旧約の預言者たちにも語られていく内容、と言ったら意外でしょうか。アブラハム以降、イサク、ヤコブ、そしてヨセフと族長たちの人生を追いかけながら、それぞれ三様の人生を歩まされていることを思います。
 イサクにとって父アブラハムの存在は大きいものでした。優れた信仰者アブラハム、その親の七光りのもと、彼は、素直にその恩恵を受けながら生きた人です。イエスの十字架の恵みにあやかってその祝福を受ける私たちも同じようなものです。
 ヤコブは、家族間のトラブルで、家を追い出され、いばらの人生を歩まされた人です。しかも、お人よしで世間知らず、そのために叔父のラバンにいいだけ利用された人です。そして彼自身小心者でした。けれども神はヤコブをそのような人では終わらせないのです。神に勝った者、イスラエルと神は彼を呼びました。ヨセフは、転落に継ぐ転落の人生の後、その心の傷を癒される人生へと導かれています。ヤコブもヨセフも全く想像もしない人生を走り抜けたと言えるでしょう。
ともあれ三人の人生は、それぞれ全く異なっていながら、いずれも神の最善に与った人生です。人生の一部を切り取れば、しばしばそれは最善とは思われない出来事もありました。そして終わりよければすべてよし、と締めくくられるようなものでした。神に手を引かれるままに、また与えられたものを素直に喜んで生きていく、さらに神が与えられる人生の多様さを認め、自分の人生の計り知れぬ可能性と祝福を信じ、従っていくところに人の幸せがあります。しかし、私たちのなすことは逆で、自分の頭で考えられる最善に自分たちの幸せがあると思うものでしょう。だから自分の考えから物事がずれて行くと、不安になるし、神などいないとすら思ってしまうものです。けれども、たとえ人に悪をはかられる人生であれ、神はそのはからいをよいことのための計らいと変え、私たちへの最善を成し遂げてくださいます。いつでも希望を抱き、人を恐れず、神を恐れて歩みたいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「ベニヤミン族から出た王様の名前は何というでしょうか。」答えはイスラエルの最初の王サウルでした。(1サムエル9:1)では、今日の聖書クイズを一つ。アブラハムが購入した畑地は、マクペラ、ではヤコブが購入した畑地はどこであったでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>
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