出エジプト記40章

40章 幕屋の完成
1.幕屋の奉献(40:1-15)
先に創世記では天地、そして人が作られ、その中から神の民となる者が召し出されたことが語られているとお話しました。出エジプト記では、その神の民がどのように生きるものなのか、つまり神を礼拝する民なのだ、と語られるのです。ですから幕屋の完成は、彼らの民族的な特徴を明らかにする重要なスタートとなりました。
さて幕屋は、第二年の第一の月の一日に完成しました。エジプトを脱出したのは、第一年の第一の月の十五日です。それから約五十日目の第三の月にシナイ山に到着(19:1)しています。そしてモーセの第一回目のシナイ山滞在が四十日間(24:18)、さらに第二回目のシナイ山滞在が四十日間(34:28)であると加算していくと、それだけで130日、約4カ月弱の月日が経過しているのです。その間に、金の子牛の事件、つまりイスラエルの民の背教の事件があり、モーセのとりなしがあり、神の民との再契約があったのですから、第二年の第一の月の一日に幕屋が完成したとなれば、幕屋の制作に費やされた時間はわずか7カ月弱、つまり驚くような速さで、幕屋の材料を準備し、刺繍を仕上げ、調度類をも制作したことになります。荒涼とした荒野のど真ん中で、彼らは、突貫工事で作業を完成させたというわけです。そして仕上がった幕屋を組み立て、至聖所を設置し、完成した調度類、付属品を定められた場所に配置しました。おそらく、幕屋は移動可能な組み立て方式でしょうから、設営そのものは短時間で終わったと思われますが、それにしても驚くような速さです。金の子牛の事件の後なされた悔い改めは、本当であり、彼らの心は神の命じられるところに一つとなって行動した、ということでしょう。教会を建て上げることも、そのような献身と一致があればこそ、速やかに進むのではないでしょうか。
2.聖別と神の証印(40:16-38)
さて、完成した幕屋とその調度類は、まず主のために聖なる油注ぎによって聖別されました。そこに主の栄光が満ちたと言います。主の臨在の象徴である雲がそこにとどまり、34節「主の栄光が幕屋に満ちた」と言うのです。主は幕屋を住まいとされました。これは重要な比喩です。というのは、イスラエルが王国となり、幕屋に代わる神殿を建設した際、主は、神殿をご自身の住まいとされ、そこにも主の栄光は満ちあふれたとされています(1列王8:10-11)。
また新約の時代になると、神は新しい幕屋、神殿を定められています。つまりイエス・キリストをご自身の神殿とされました(ヨハネ1:14)。かつてイエスは、ご自分をさして「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」(ヨハネ2:19)と言われました。それは直接的にはイエスの復活のことを言っているのですが、神はイエスを住まいとし、イエスにご自身の栄光を現わされたと言えます。
そして現代において神は、キリスト者一人一人を幕屋、神殿として見て、ご自身の住まいとしてくださると言います(1コリント6:19,20)。幕屋から神殿、神殿からキリスト、そしてキリストからキリスト者一人一人、と神はご自身の臨在の場所を明らかにしてこられたのです。そして、神がキリスト者を臨在の場所とされることは驚くべきことです。つまり、キリスト者を見る時に、人々は、そこに主の栄光が満ちている、この人と共に神がおられる、と知る、と言っているのです。キリストの弟子が世の光であり、地の塩と言われるのは、そういうことでしょう。
38節は、「わたしはイスラエル人の間に住み、彼らの神となろう」(29:45)と語られた主の約束の実現です。彼らは旅路の途上にあって、いつも、昼は主の雲が、夜は雲の中に火があるのを見たと言います。神は約束を守られました。そして、イスラエル人は、その主の雲が幕屋から上った時に旅立ったという。つまりどこまでも主の後をついて行く民として、自らを証したのです。
神は、イスラエル民族を神の民とされました。それは、ただ単にエジプトの滅びの穴から救い出してくださった、というわけではなく、さらに神の民として生きるようにしてくださいました。それは、彼らを通して、さらに他の民族が同じ祝福に与るためです。神が全人類を愛しておられることは確かであり、その愛の招きを自らの生活を通して指し示すのが、神の民としての私たちの役割なのです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。「青」と言った場合、色々な色が想定されますが、具体的にどのような色であったでしょうか?答えは、濃紺、あるいは青紫です。青と訳されるヘブル語のテケーレスは、紫に近い濃紺あるいは青紫を意味したと言われます。アサガオガイという巻貝を原料とし、珍重された色です。では、今日の聖書クイズを一つ。幕屋が出来て、備品類が設置された時に、幕屋の内部の南側に置かれたものは何でしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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