出エジプト記39章

●39章 エポデ,調度類の作成
1.祭司の装束の制作(39:1-31)
祭司たちの衣装が作られていきます。ここでも「主がモーセに命じられたとおりである」と著者は繰り返しています。本章のみならず、次の章にも7度繰り返されています。神の細かな命令に、モーセが的確に、丁寧に従ったことを強調しているのでしょう。このように一つ一つ判を押したように、確実に作業が進めていくあり様に、神のことばに従う姿勢を教えられます。
 教会を建てることについて、これほど神の御心に照らして、慎重に建て上げていく姿勢があるのだろうか、どうか。いや、もっと比ゆ的に、自らの信仰の歩み、霊的な人生を築き上げることについて、これほど神の御心にその歩みを重ねていく慎重さがあるだろうか、と。
 パウロは言います。「だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると、それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。」(1コリント3:12-16)イエス・キリストという土台の上に、どのような素材を選んで自らを建てあげていくのかに注意せよというわけです。素材を選びぬき、最も良いもので、丁寧に建て上げていく。どこか作りがいい加減なものであれば、結局、そのそしりは免れ得ない。「三匹の小豚」の話ではありませんが、藁と木とレンガで造った家の内、狼の攻撃に守られたのは、レンガの家だけであったようなもので、教会も、信仰者自身も、何か試練の時があって、その試練を耐えられるか否かは、常日頃、丁寧な霊的な営みのあるか否かにかかっている、と言えるのでしょう。
 教会はセメントをこねれば建つと言います。しかし、神が私たちに期待しているのは、箱モノを作ることではありません。人の魂を癒し、心を励まして、神の礼拝へと向かわせる、教会を建て上げることです。それは、まさに霊的なものであって、ハデスの門も打ち勝てないものです。実際、使徒パウロは、「私たちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のために要塞をも打ち倒す力があるものです」(2コリント10:4)と語りました。霊的なものと言って、わかったつもりになってはならず、その破壊力の大きさ、影響力の強さを考える時に、それが一重に神の御言葉に対する忠実さ、丁寧さから来るものであるとするならば、どれほどそこに細心の意を払うべきかと思わされることではないでしょうか。
2.幕屋作製作業の終了(39:32-43)
 32節「こうして、会見の天幕である幕屋のすべての奉仕が終わった」と言います。私たちの奉仕も、いずれ終わるものです。その際に、私たちはどのような報告をするのでしょうか。私たちの奉仕がたとえ人に評価されることがなくても、あるいは軽く見られていたとしても、神の前に丁寧に「主が命じられたとおりにした。そのようにした」と言えるものであるかどうかでしょう。神が私たちに期待することは、大それたことではありません。むしろ小さなことでしょう。隣人を愛すると言っても、それは身近な親、子ども、妻、あるいは同僚です。そのような関りの中で、神が命じられていることを忠実に行っていく、そしてその奉仕を終える時が来るのです。43節「モーセがすべての仕事を見ると、彼らは、見よ、主が命じられたとおりに行っていた。そこでモーセは彼らを祝福した」と言います。仕事をし、その通りの物ができ、確認してよしとする。そして、これを祝福する(創世記1,2章)。それはまさに神が、天地の初めに物事を創造したパターンを思い出すところです。
大切なのは、創世記と出エジプト記がつながっていることを考えることでしょう。創世記においては、神は、モノとしての天地、そして人をお造りになり、そこに神が召し出す、神との関係を持つ人々を設けられました。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフに至るイスラエル民族です。出エジプト記では、これらの人々に対する、神の戒め、彼らが神を礼拝する民、神の民となるための、神の深いかかわりと教えが語られています。
人は、この地上に、野生動物のように生まれ出てきたものではなく、神に造られた者として、神と共に生きる道があることを聖書は教えています。いよいよ出エジプト記も残るところあと一章、しかし、さらにレビ記、民数記と読み進み、人がどのような者として生きる者であるのかを共に学んでまいりたいところです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。タラントは、通貨にも度量衡にも用いられた単位ですが、大きな単位であったのであまり日常的には使われなかったとされます。そこでタラントは聖書の中では何にたとえられているでしょうか?①雹、②石、③卵、答えは①雹でした。黙示録16:21には、「1タラントほどの大きな雹」というタラントを雹にたとえる表現があります。では、今日の聖書クイズを一つ。「青」と言った場合、色々な色が想定されますが、具体的にどのような色であったでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>
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