ヤコブの手紙5章

ヤコブの手紙5章 祈りによって乗り越える
1.金持ちたちに対する裁き(5:1-11)
「金持ちたち」は、物質的には豊かであっても、霊的には貧しい人々のことを指しています。ヤコブは、そんな金持ちたちに泣き叫びなさい、と言います。というのも不幸が迫っている、と言うのです。つまり神の裁きが迫っている、ということですね。
お金を稼ぐというのは結構大変なものです。しかし稼ぐ以上に、儲けるというのは、それなりに人を犠牲にし、搾取しているから、ということがあるのではないでしょうか。日本人がアジアに進出し、安い労働力で金儲けをする。払うべきものを払わずに、自分の懐に蓄えていく。あるいは、本当はありもしないものをあったかのように見せかけて水増し請求する。結局、そういう不正のもとに、人は私腹を肥やすわけです。けれども、私腹を肥やし金余りが生じるようになると、デパートで値段も気にせず勧められるままに買った衣服は、何枚も積み重なってほったらかし、気が付いたら虫が食っている、そういうことがあるものなのでしょう。そして誰もその生活に異議を唱えるものはいません。けれども、神様はそうではない、と言っているわけです。三途の川も金次第、と言われます。けれども、聖書の神様は、そんな銭は、受け付けません。散々搾取して儲けて、地上でいい思いをしてきたのでしょう。天上も同じように行けると思ったら大間違いだと言うわけです。4節「労働者への未払い賃金が、叫び声をあげています」神様は、搾取されて、苦しんだ人たちの涙を、決して見過ごされないのです。あなたのお金は、あなたと共に亡びなさい、というわけです。そして、今、報われない思いでいる人には、神様はこう言います。7節「農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています」8節「耐え忍びなさい、心を強くしなさい。主が来られる時が近づいている」と。秋の収穫期に田んぼが黄金色になるイメージですね。今は苦しんでいても、収穫の恵みがやって来るのだと、信じて待っていなさい、と言うのですね。耐え忍んだ人は幸いだと、笑って言う日が来ますよ、と。
2.正しく祈り、神に期待する(5:12-20)
冷酷な仕打ちがあっても、神に信頼し続けることです。そしてそのような時に、不用意に誓ったりしないことです。人はよくしがちですね。苦しい時に、神様こうしますから、誓いますから、何とか助けてください、と。そういうことは止めなさいと。神様はあなたの悲しみはあなた以上に感じてくださっている。何とかしようと考えておられる。だから、「はい」は「はい」「いいえ」は「いいえ」、淡々と人生を歩んでいきなさい。そして静かに物事の結末を見守っていくことです。いやいや、むしろ祈りなさいと言います。それは、最も暗い人生を生き抜く、最良の策です(13節)。実際何でもかんでも祈ることです、と言います。当時は、病人への科学的な治療も発達していませんでしたから、病気になると教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈る、ということをしました。祈って癒されることを期待する他なかったわけです。現代は、科学的な治療があります。ですからそれを否定するのではなくて、ここでは適切な医療を施しながらも人間の力ではどうにもならないところもある、そこを主に委ね、祈るということになるのでしょう。個人の病のみならず、家族の病、社会の病、皆、主の業が必要な部分はあるものです。人間の力は万能ではありません。
最後に、世の様々な矛盾に痛めつけられて、信仰者が真理から迷い出ることは、よくあることです。ヤコブは、そのような兄弟への関心を失ってはならない、と言います。無視してはいけない、遠くから批判しているのも違う。「罪人を迷いの道から連れ戻す人は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおう」それは、大変尊い行為なのだ、と言います。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「聖書で悪魔に誘惑されたエピソードを持たない人物は、次の誰でしょうか。答えは③ヨナですね。エバも、ヨブも、サタンに試みられたエピソードでまず思い浮かべられる人物ですね。では、今日の聖書クイズを一つ。当時の金持ちの状況を知るクイズですが、古代ローマの贅沢愛好家アピキウスが、約60億の財産を優雅な放蕩に使い、残り1億となった時に、どうしたと言われているでしょうか?答えは、また明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

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