1テサロニケ第一5章

1テサロニケ人への手紙5章 主の恵みによって成長する
1.いつ再臨が来るのかはわからない(5:1-5)
パウロは4章の後半に続いて再臨の問題を取り上げています。今もそうかもしれませんが、当時の関心は、それがいつ起こるのかでした。そして信者は、いついつ再臨が来るというような話に落ち着きを失ったり、心を騒がせたり、と振り回されていたのです。パウロはこの問題について、イエスと同じように、その時は誰にもわからないし、突如来るのだ、と述べています。ただ、クリスチャンには、それがいつ来たとしても問題ではない、常日頃、光の子として、神の前にしっかり歩んでいれば、突如その日が起こると感じることもない、というのです。
2.再臨に備えた神の前の歩み(5:6-28)
むしろ、その日が、明日、あるいは今日来ても全く困らないように、光の子として以下の心がけをしましょう、と6節からは、パウロの具体的な勧めがなされています。
1)まず目を覚まして、身を慎んでいましょう。つまり再臨がいつ来てもよいように、心を引き締めた節度ある歩みをしましょう、ということです(6節)。
2)次に、信仰、愛と、希望の三脚に立ちましょう、と(8節)。キリスト者は、楽観主義者です。しかし、それは物事を深く考えずに、神に委ねていれば大丈夫という、迷信的で単純な楽観主義ではありません。むしろ世の絶望や落胆の淵を知りつつも、なおも、主は真実であると主に信頼する、したたかな楽観主義者です。神への信仰、それに基づく希望、それらに基づく愛の実践に生きる人です。
3)ですから、互いに励まし合い、高め合いましょう(11節)。信仰者は前向きですね。
4)さらに神が教会に立ててくださった牧師とその働きを認め、従いましょう。また、その労に相応しく、生活が支えられるように配慮しましょう、と言います。確かに、牧師の生活を考えるのは、その教会の信徒以外にはいないことでしょう(12節)。
5)そして互いに教会が平和な場になるように努めましょう。教会に、争いや喧噪を持ち込まないように注意しましょう。昨日も言いましたように、教会の成長は愛の豊かさ、聖さの高さ、そして、落ち着いた歩みで測られるのです(13節)。
6)ですから、物事を途中で投げ出し、隊列を乱すような気ままな人間は戒め、逆に小心な者、つまり勇気に欠けてくよくよ考えるような者は励ましましょう。さらに霊的に弱い者、そういう人を切り捨てずに、世話をしていこう、と言います。
7)短気にならず、辛抱強くありましょう。
8)善を行ないましょう。目には目を、歯には歯をではなく、呪いに祝福を返し、様々な敵意を愛をもって打ち破りましょう、と言います(15節)。
9)またいつも喜んでいましょう。喜べない時でも喜べる、これが霊的な成熟です(16節)。
10)絶えず祈りましょう。人ではなく神に期待することです(17節)。
11)感謝しましょう。最前に導いてくださる神への信仰があれば、できることです(18節)。
12)聖霊に寄り頼みましょう。それはキリスト者の生活に暖かさと光をもたらします(19節)。
13)預言を大事にしましょう(20節)。預言は未来の予告だけではなく、神のみこころの告知です。聖書が語っていることに注意深くありましょう、ということです(21節)。
14)悪は多様です。あらゆる種類の悪から遠ざかりましょう(22節)
以上かいつまんでお話しましたが、大切なのは、このような目標をぶら下げて懸命に努力せよ、と言っているわけではないことです。24節、善い行いも主が備えてくださるものです。キリスト者の人生は努力で築かれるものではなくて、天来の神の賜物を味わい、喜ぶ人生なのです。では今日もよき一日であるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズですが、「聖書は復活についてどのように語っているでしょうか。」答えは、②正しい人も悪い人も皆復活する(使徒24:15)でした。では、今日の聖書クイズを一つ、キリスト教が今日、日曜日を礼拝日として定めことに影響を与えたものは何ですか?①降誕、②復活、③再臨、答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
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私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!