ヨハネの黙示録3章 七つの教会への手紙後半
1.サルディスの教会へ=霊的に死んでいることの危険性(3:1-6)
今日は、ヨハネが書き送った教会の5番目の教会サルディスから見ていきます。サルディスの教会に、イエスは、ご自身を「神の七つの御霊、および、七つの星を持つ方」として表しています。ユダヤ人の文化で、七は完全数ですから完全な神、すべての教会の指導者に支配を及ぼす神を語るものでしょう。その神が、ご自身の教会にこう語られるのです。「あなたは、生きているとは名ばかりで、実は死んでいる(1節)」これはどうしたことか。綺麗で立派な教会なのに、中にいる人々はアンドロイド、人間と思いきや、何か心が通わない、人間のいのちがない、と言うのです。なんともそんな教会にはなりたくないと思うものですが、実は、信仰は建前だけというキリスト者、教会はあるものでしょう。イエスは、そのような教会に、新しい命を燃やすように命じています。目を覚ましなさい。霊的にまどろんではならない、そして、死にかけている他の人を力づけなさい、と。また、命を取り戻すために、あなたがどのように信仰に入ったのか、その初めを思い出しなさい(3節)、と言います。必死に罪の泥沼の中で救いを求めていて、そこから救い出された、滅びなくてよかったね、で終わりではありません。あなたは神のいのちとその聖さに与るように、信仰によって新しい人生を形作り、それを完成するように救われたのです。もし本当に神のいのちを大事にして生きるなら、三つの祝福があると言います。白い衣を与えられ、いのちの書の名前は確約され、さらに神が公の前でその人の名を呼ばれます。象徴的な言い方ですが、神がご自身との関係を永遠に保障し、死後の安息といのちも守られることを言っているのでしょう。
2.フィラデルフィアの教会へ=霊的水準を保持しないことの危険性(3:7-13)
次にフィラデルフィアにある教会。フィラデルフィアの教会は小さなものであったようですね。けれども、主にあって大きな可能性を秘めている教会でした。彼らは神の言葉を忠実に守り、迫害の中でキリストに堅く立つ者たちでした。教会の価値は、人数の多さや外観の華やかさによりません。どんなに小さな群れであろうと、そこにいのちがあればそれは賞賛に値するのです。そして神は、そのような教会にチャンスを与えられます。実際フィラデルフィアは、地理的に東の玄関口として知られ、ギリシアの文化と言語を、トルコの東側に伝える重要な拠点でした。神は、そのようにこの教会を用いられるし、守られる、と約束します。だから、自分の冠をだれにも奪われないように、持っている者をしっかり保ちなさいと言うのです。大切なのは自分のペースを守り、着実に神の祝福に留まり、それを自分のものとしていくことでしょう。
3.ラオディキアの教会へ=無関心にあることの危険性(3:14-22)
最後にラオディキアにある教会。ラオディキアは、経済的に豊かな町でした。AD60年の大地震において町が崩壊した時も、ローマ帝国の援助を一切受けず、市民だけの経済力で町を復興出来たと言います。その有り余る豊かさの中で、燃えるような熱心さを持って戦うことを忘れた教会、ひとりよがりで自己満足的に生きるだけの教会、それがラオディキアの教会でしたた。そこでキリストは、彼らの豊かさが、どこから来ているのかを思い起こさせています。神の守り無くして、その豊かさはないのです。ラオディキアのなまぬるい状況に、神は吐き気を催しながら、懲らしめを与える前に悔い改め立ち返るように勧めています。神は叱責しますが見捨てるお方ではありません。霊的な炎を再び燃やすように勧めるのです(18章参照)。
以上イエスは、7つの教会それぞれに特定の私信を送り、最後に至りもう一度、全ての教会が自身と対面することの重要さを繰り返しています。初めの愛に冷えたエペソの教会は、新鮮なキリストの愛に触れる必要がありました。苦難を恐れていたスミルナの教会は、復活し勝利した力あるキリストに触れる必要がありました。教理的に妥協し、いい加減な生活を送っていたペルガモンの教会は、忠実なキリストと交わる必要がありました。道徳的に妥協し、堕落の一途をたどっていたティアティラの教会は、キリストの聖さに触れる必要が、そして霊的に無関心の状態にあったラオディキアの教会は、熱いキリストの熱意に触れる必要がありました。心の戸を叩き続け、信仰と命を燃やすように語られるキリストに、応答するのは私たち自身です。私たちが心を開かぬ限りそこに新しい歩みは起こらないでしょう。信仰の前進のために、私たち自らが心を開いて、一歩踏み出すこととしましょう。
<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「ヨハネの黙示録は、七分形式で地上に起こる災いが三度繰り返されて描かれていますが、それは、巻物が開かれることによるものと、ラッパが吹き鳴らされることによるもの、そして何でしょうか?」答えは、鉢がぶちまけられるものでした。これらは同じことを違う角度から繰り返し語るたとえになっています。では、今日の聖書クイズを一つ。
「黙示録を書いたヨハネは、これらの神のことばを書き留める情報を、どこで得たのでしょうか?①パトモス島、②クレタ島、③マルタ島」答えはまた明日、今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
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